1 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/01/28(金) 12:44:21.97 ID:
EbN6imkH0


自由意志(free will)の問題とは、
理性的な行為者が判断に対するコントロールを行うことができるか否か、
という問いである。
様々な哲学上の立場が、あらゆる事象は過去未来にかかわらず、
既に決定されているか否か(決定論VS非決定論)について、
また同様に、自由は決定論と共存できるか否か(両立主義VS非両立主義)について、
意見を違えている。
(自由意志、wikipedia)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%94%B1%E6%84%8F%E5%BF%97







2 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/01/28(金) 12:46:41.50 ID:
EbN6imkH0

さて、端的に問いを立てますが、
旧来の「自由意志」は存在しえると思いますか、
あるいは、異なった形で存在しえると思いますか、
それとも、この世界はまったく決定論的で、
「自由意志」はつゆほども存在しえないのでしょうか、









8 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/01/28(金) 12:53:32.20 ID:coX1zAfz0


つまり運命を信じますか?ってこと?







10 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/01/28(金) 12:55:35.18 ID:
EbN6imkH0

通俗的に言えば、「運命が全てを決定している」とするのが、
「決定論」と呼ばれる立場になります、
それに対して、「自由意志」を信じている人達は、
「自分の意志、決断、思い」が、自分の行動に影響を与えていると考えることが多いです、








11 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/01/28(金) 12:55:41.18 ID:smCpoUkw0


要するにこの世は神もしくはそれに類するものが全て決めてるか決めてないかって議論なのか?

それなら自由意志なんぞないだろ必ず死ぬと言うことは確定済みなわけだし








16 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/01/28(金) 12:59:36.66 ID:
EbN6imkH0

>>11
仰るとおり、「我々の意志」が「全て」を決定しているわけでもありません、
しかしながら、「死」は一つの現象に過ぎませんから、
「世界の意志」が「全て」を決定している、
ということも、その点から導くことは出来ないと思います、









14 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/01/28(金) 12:56:35.28 ID:u/SSXTh40


物体がどうやって意思持つんだよwwwwww









16 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/01/28(金) 12:59:36.66 ID:
EbN6imkH0

>>14
「自由意志」を否定する論者の中には、
そもそも、我々は脳の電気信号によって操作されるに過ぎない、
単なる物体であると考える人達もいます、
はたして、我々に「意志」は存在するのか、
という懐疑的な姿勢も重要ですね、








15 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/01/28(金) 12:58:33.14 ID:YoSyMaYD0


敷かれたレールの上を走る人生なんてごめんだね!








20 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/01/28(金) 13:04:22.03 ID:
EbN6imkH0

>>15
私も無軌道な人生(=実存的生)の方が好みです、
しかしながら、我々は知らず知らずのうちに、
因果法則によって定められた人生を送っているのかもしれませんよ、








19 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/01/28(金) 13:03:33.28 ID:yVnFiSXE0


決定論っていうのは最初から俺がこのスレにレスするのが決まってたてかんじ?
ふざけた理論だな







25 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/01/28(金) 13:07:39.50 ID:
EbN6imkH0

>>19
「決定論」と言うのは、具体的に言えば、
貴方がこのスレを開く前までにとった行為や、
このスレを開く前までにあった状態の中で、
貴方がこのスレを開くことになるような「因果」、
わかりやすく言えば、「フラグ」が、
全てそろっていたという議論です、
我々の「意志」のおよび知らない「因果法則」が、
世界内の全ての物事を規定しているという、
科学者にとってはなじみやすい考え方です、









23 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/01/28(金) 13:07:07.46 ID:3YXKb9lP0


この問いの先でどういう問題が解決できるの








27 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/01/28(金) 13:10:52.26 ID:
EbN6imkH0

>>23
「自由意志」があるかないか、
すなわち、人間は自らの行為を自らの意志に基づいて行っているか、
という問いは、たとえば、倫理的な分野で非常に重要な問題を投げかけます、
もしも、「自由意志」が存在しない、
人間は自らの行為を自らの意志に基づいて行っていないのであれば、
人間は自らの行為に対して責任を持つことは出来ません、
旧来の倫理が崩壊してしまう危険があるのです、








35 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/01/28(金) 13:15:03.27 ID:3YXKb9lP0


>>27
なるほど
でもそういう先の議論を控えての話となれば、
「自由意志は存在する/」しない」と主張すること自体に政治的な立場が絡んで
純粋にこの議論そのものの答えを出すことが難しくならないか









39 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/01/28(金) 13:24:36.82 ID:
EbN6imkH0

>>35
先に挙げたような倫理的問題は、
「自由意志」についての議論の帰結として発生しますが、
私はここでそれそのものを主題とするつもりはありません、
もちろん、それでもなお、各人の拠って立つ立場が、
議論において大いに関与してくると思いますが、
それは議論において避けられない宿命のようなものでしょう、








28 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2011/01/28(金) 13:10:54.45 ID:3emDTUXyP


厨房でも分かるように、以降の説明お願いします








33 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/01/28(金) 13:13:37.39 ID:smCpoUkw0


>>28
1日一回オ◯ニーをするこれはすでに決まってた行動なのではないか?=確定論
1日一回オ◯ニーをするいや別に自分の意志で決めたんだぜ?今日のおかず最高!!=自由意志








30 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/01/28(金) 13:12:56.61 ID:
EbN6imkH0

>>28
神「お前らの行動は全てワシが決めとるわ!」←反・自由意志論者
上条さん「その幻想をぶち殺す!」←自由意志論者










34 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2011/01/28(金) 13:14:46.09 ID:3emDTUXyP


じゃあ、神様崇めてる人たちは、自由意志を否定してるって事?







37 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/01/28(金) 13:20:12.72 ID:
EbN6imkH0

>>34
すみません、誤解を招くようなたとえになってしまいました^^;
「自由意志説」と呼ばれるものは、
そもそも、キリスト教的伝統から生まれたものです、
たとえば、オリゲネスも、アウグスティヌスも、
人間は神によって自由意志を与えられたとしています、
その頃のヨーロッパ世界には、古代ギリシアから受け継がれた、
人間は「自由な行動をする能力」を持っている、
という考え方が支配的でした(もちろん、それに反する考え方も根強いものでしたが)、
オリゲネス、とくに、アウグスティヌスは、
そうした古代ギリシア的伝統とヘブライ的伝統の整合を計ったのです、








36 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2011/01/28(金) 13:15:53.64 ID:9tHJlpIY0


自由意志なんてその法則から外れた奴にしかわっかんねぇよ
つまり自由だと思った時点で俺たちはフリーダムインスピレーション








41 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/01/28(金) 13:28:13.20 ID:
EbN6imkH0

>>36
「自由意志」について考えるためには、
「自由意志」がない状態を体験することが重要だ、
というアイロニカルな点は確かに考慮すべきですね、
でも、我々は両義的(すなわち、「自由意志」的な状態と、
「決定論」的な状態を二重に体験している)な存在だと思いますので、
ここではさほど問題とならないように思います、








40 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/01/28(金) 13:25:40.51 ID:val31DLz0


自由意志は存在しないので全ての行動に責任は伴いません

って法改正されたら基地外が大量発生するのは明白だろ?
だから自由意志が存在するかどうかに関わらず責任は付き纏うよ








41 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/01/28(金) 13:28:13.20 ID:
EbN6imkH0

>>40
仰るとおりで、簡単に言って、
「自由意志」を前提としない倫理を構築すればよいのですね、








44 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/01/28(金) 13:35:03.83 ID:lWGuB5YHO


世界と時代によるんじゃないのかな。

今の世の中は、さも何でも自由にできるように見えて実はかなりコントロールされていると思う。
お店で好きなものを買えるように思えるけど実は
テレビや雑誌やお店が売ろうとするものしか買えなかったり。

買い物に限らず、なんでもだけど。








50 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/01/28(金) 13:41:22.27 ID:
EbN6imkH0

>>44
仰るとおり、抽象的な「自由意志」という用語を負うのではなく、
「自由意志」が存在している諸現実に目を向けることが重要ですね、
現代文明批判の中でもメジャーな議論ですが、現代というのは、
様々なメディアが私たちの生活に深く食い込み、
私たちを内側から操っている時代であると言われることがあります、
そうしてみると、我々が自発的に行っていると思われた行為も、
徹底的に疑念を持って見つめ直す必要が出てきそうですね、




58 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/01/28(金) 13:47:23.02 ID:
EbN6imkH0

>>44
補足しますが、このような議論を展開した学者がいました、
(A)無意識的な麻薬常習者
(B)麻薬を吸いたくないという意志を持つ麻薬常習者
(C)麻薬を吸いたいという意志を持つ麻薬常習者
麻薬を吸っていて、麻薬に行動原理を食い荒らされている人間のモデルの中でも、
(C)には自由意志が認められると言うのです、
したがって、現代人が「メディア=麻薬」に汚染されているからと言って、
ただちに自由意志がないとしてしまうわけにはいきません、










47 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2011/01/28(金) 13:39:06.39 ID:9tHJlpIY0


二つの状態ってシューレヂィンガーの猫だっけ
もしその通りなら何で対立してるかわっかんねぇよ
運命はあるけど選択肢はほぼインフィニティアでいいじゃん








61 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/01/28(金) 13:52:27.45 ID:
EbN6imkH0

>>47
非常に重要な論点の一つです、
「結果から考えれば」、全ての物事は運命によって規定されているように思えます、
しかしながら、物事を「選択する瞬間から考えれば」、
全ての物事は運命的であると言いえるでしょうか、
複数の「視点」を混同してはなりません、








63 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/01/28(金) 13:54:12.45 ID:val31DLz0


>>61
その事物が起こる前にその結果を読み解けないなら、それは決定されていないも同然だよね








69 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/01/28(金) 14:00:35.81 ID:
EbN6imkH0

>>63
そうですね、
「私」にとっては、ひとまず、世界は未決定的です、








62 名前:鎹也雪 ◆H8.4CL0iMMbe [] 投稿日:2011/01/28(金) 13:53:55.13 ID:sbsFYzIR0


つまり世界的な規模において反自由意志は「万物の事柄には意味があり又それを運命と呼ぶ」
と唱えているが、俺は運命を信じない自由意志論者
意志歪曲をしている彼らは決められたとか言っているが
それはすべからず『起こりうる出来事が起こってしまっただけ』である
これを果たして運命と呼んでいいのか定かではない
確かに我々の頭脳は電気信号によって作り出された思考ルーチンだが
それは大して問題はない
そうであろう?
我々が何を思い、考え、行動するにしても自分は自分であり自分なのだから
意志はあるのかと聞かれても確かにここに存在するし其れを何者にも否定は出来ず証明する必要性も
全くもって、 無 い のだから









69 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/01/28(金) 14:00:35.81 ID:
EbN6imkH0

>>62
非常に重要な論点の一つです、
「自分」にとって決定的に需要なのは、
「自分」から見た主観世界そのものです、
一部の物理学者や決定論者は、「自由意志=自分の内面」を問題対象としながら、
「自然界=自分の外面」のテクストを使って議論をしています、
これは非常に慎重さにかけた議論だと言わざるをえません、









72 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/01/28(金) 14:00:59.98 ID:56aBlPZj0


りんごを手でつかむとき
己の意思でりんごをつかんだのか
体がそれを求めたのか

仮に己の意思で腹も減っていなかったするとどの時点でりんごをつかもうと思ったのか
その意思は本当に意思と呼べるのか

ということですね







79 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/01/28(金) 14:11:15.68 ID:
EbN6imkH0

>>72
そういう理解ですね、








81 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/01/28(金) 14:16:56.76 ID:56aBlPZj0


ある映画でこういうセリフがある

いつだって正しい道は見えていた  はっきりとだ
だけどその道を選ばなかった

なぜか

それは「困難な道」だったからだ

#######################

どのようになるかはっきりわかっていても、人は破滅への道を歩んだりする
自由意志なんて笑っちゃうけど、それを選び取ることができる人もいる







84 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/01/28(金) 14:20:47.68 ID:val31DLz0


>>81
#の間に半角スペース入れたのはお前の自由意志なの?








85 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/01/28(金) 14:22:42.18 ID:56aBlPZj0


>>84
入れたのは俺の意思だが
#を入れるという技法は経験で学んだもの
つまり世界から与えられている
そういう意味では完全な俺の意思ではない
おれは枠組みの中でちょこっと動いただけ








112 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/01/28(金) 14:57:21.81 ID:MLZUaSqa0


量子論では非決定論を採ることになるって聞いたことがある
どうしてそうなるのかは知らん








123 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/01/28(金) 15:02:49.95 ID:sHUZJlmv0


>>112
宇宙が決定論的であると仮定するならば、不確定性原理を説明するには隠れた変数が必要
隠れた変数は局所的であるか、もしくは非局所的である

(1) 局所的な隠れた変数は、量子もつれの存在により否定される
(2) 非局所的な隠れた変数は、超光速の情報伝達が必要となり、相対性理論により否定される

(1)、(2)より、隠れた変数が存在しない
よって背理法により、宇宙は決定論的ではない








116 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/01/28(金) 14:59:58.98 ID:
EbN6imkH0

寝ぼけてますが、ちょっと自分の見解を書いてみました、
自由意志は、あくまでも行為者の所有物ですから、
一部の物理学者たちのような、色々の観点を混同した視座ではなく、
行為者のよって立つ現実のみを考慮した視座で考えます、
とはいえ、現代風にアレンジしたとはいえ、
従来の自由意志論の範疇を大きく超え出るものではないと思います^^;








118 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/01/28(金) 15:00:28.88 ID:
EbN6imkH0

行為の原因に関して
・行為の原因となるものは、
諸過去と諸現実(行為者が、今までに体験してきたことのいっさい、
今に体験していることのいっさい)によって、
行為者の意志とは別の所から生ずる、
・その原因は、行為者のある過去、現実の数だけ
(行為者が体験した・していることの数だけ)存在する、
・それらの原因は、それぞれに固有の質を持つ、







120 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/01/28(金) 15:01:15.04 ID:
EbN6imkH0


行為の承認に関して
・「行為の原因がある」という事態と、
「行為の原因が行為として結実する」という事態の間には、
互いに埋めることの出来ない飛躍がある(=意志の存在)、
・その飛躍の間に、行為者は行為の原因を承認する(原因-承認モデル)、
・行為の承認における何らかの指向性も、諸過去と諸現実との規定を受ける、
・しかしながら、行為者にとって、行為の承認の指向性は完全に規定されない、
承認された行為の結果は、行為者にとって完全に未知であり、
行為者は承認を言わば「投げやる」ことをせねばならず、
そこには承認そのものを承認する余地が存在する(=実存性)、
・行為者は、それぞれの原因の質によって、一義的に行為を決定するのではなく、しばしば程度を無視した承認を行うことが観測されている、







122 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/01/28(金) 15:02:42.09 ID:
EbN6imkH0

結語
・行為者の行為は、諸過去と諸現実によって、大きな規定を受けているが、
行為者はその内部で、限定的に自由意志
(=アリストテレス的な選択意志)を持っている、








147 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2011/01/28(金) 15:19:34.94 ID:1XwKkgX2O


理系人間的立場から言わせてもらえば、「自由意志」という単語の定義による、としか言いようがない気がする。

ただまあ「魂だとか精神だとか、法則に縛られないなにものによって人間の行動が決定されている」といった、
かなり素朴な自分意志論はほぼ確実に間違いだと思う。








150 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2011/01/28(金) 15:20:38.03 ID:3ppHDRV30


わたしにーとだけど、
考え込んで「とりあえず形而上学なところに逃げ込んじゃおう」って思考の置き場を
意識的なり無意識的になり落とすクセが付いてるひとって頽廃的だと思う








155 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/01/28(金) 15:26:12.13 ID:
EbN6imkH0

私の主張を端的にまとめておきますが、
行為者にとっての、現在-未来間の無規定性こそが、
限定的な自由意志=アリストテレス的な選択意志の直接のサポートになります、
通俗的に言えば、行為者にとって、
これから選ぶ行為の結果は未知なのだから、その瞬間には、
特定の行為を選ばなければならない、という決定性は存在しない、
(色々の「規定」は確かに存在する)
それゆえに、行為者の意志は限定的に行為へ結実することが出来る
(=限定的な自由意志)、
という実存主義的な非常に素朴なものです、








158 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/01/28(金) 15:28:20.11 ID:56aBlPZj0


>>155
選べるレールはいつも少数
ひどいときにはひとつしかない

それでもその選択が僕を形作ってる

とそういうことですね








166 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/01/28(金) 15:32:45.31 ID:
EbN6imkH0

>>158
大まかに言えばそうですね、
前に書いたと思いますが、
麻薬中毒でありながらも、「意図的に」麻薬を吸うことをしている人には、
(限定的に)自由意志がある、とした学者の議論と似ているようです、








229 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/01/28(金) 16:37:10.71 ID:yCTkKElg0


決定論と自由意志は両立する
根拠はない、ただそう思う








230 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/01/28(金) 16:37:53.07 ID:Pq6CKaBx0


>>229
そういう主張もあるにはあるな
まあ、自由意志が定義できてないからなんとも言えないのだけれども








233 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/01/28(金) 16:41:59.66 ID:
EbN6imkH0

>>229
決定論と自由意志のバランスの取り方によって、
だいたい三つの立場に別れているようですよ、
自由意志を認め、決定論を認めない立場、
決定論を認めつつ、自由意志を認める立場、
決定論を認め、自由意志を認めない立場、
両方とも認めない立場は、代表的な論者を知りません、








238 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/01/28(金) 16:47:35.30 ID:sHUZJlmv0


>>233
両方認めない立場になってみた

現代物理学の成果に従い、決定論を認めない
一方で、非決定論的な振る舞いであっても、何らかの法則にしたがって非決定論的な振る舞いをするものであるとする
よって、意思は十分に自由ではない

どうでしょ?








242 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/01/28(金) 16:58:49.70 ID:
EbN6imkH0

>>238
なるほど、行為者の意志は、「非決定論的」というメタ的な法則に支配されるわけですね、
そこには確かに、決定論も、自由意志も存在していません、
しかしながら、それは実に科学的な視座であって、
行為者の主観から見た場合の視座では、「非決定論的」な未知によって、
自分が未来に向かって選択するという、「選択意志(自由意志)」が生じているのかもしれません、





265 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/01/28(金) 17:31:59.27 ID:BcG4hNkt0


因果論の次元ではない話をするんだけど、
例えば俺達が一見「主観」によって為していると思しき行動をしている時、
実はその行動には下支えになっているものがある。これは社会の慣習なり
世界の常識なり(難しい言葉を使えばパラダイムとかエピステーメーとかがいえるんだろうけど)、
とにかく因果ではなく、あらかじめ人間の営為で定まった考え方のようなものが下支えになっている。
こうした中にあって俺達にとっての独自の「主観」などはほとんどありえないし、
常に俺達はなんらかの規定付けられたものによって行動している。

こうした構造主義めいた議論には自由意志論者はどう答えることになってるんだろう?
もし前の方のレスで取り上げてたらごめんよ。








267 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/01/28(金) 17:36:07.65 ID:Pq6CKaBx0


>>265
もし、自由意志論者ならこう応えるだろうさ
『あなたは複数の同じ程度好きな食物を眼前に出されて、どちらかしか食べられないとします
 あなたは一つを選びます。そして、その選ぶことが出来た、ということが自由意志なのです』って感じにな









272 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/01/28(金) 17:50:58.61 ID:BcG4hNkt0


>>267
んでもって構造主義者としては、
「複数提示された時点で選ぶ自由などない。一方か、もしくはもう一方か、とあらかじめ規定されている時点で
一方を選ぶ、ということは決まっていたも同然なのだから」
って答えるわけか。









249 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2011/01/28(金) 17:05:55.86 ID:gGxThd5U0


「自由意志」が無いのはそもそも明白だと思うんだが
Aという選択が合理的でBという選択が非合理的であるとする
Aを選択するのはたんに機会的に判断しただけでAを取った人間に自由意志は無い
Bを選択した人間はそもそも非理性的なので自由意志は無い
証明終わり







252 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/01/28(金) 17:10:45.71 ID:
EbN6imkH0

>>249
実に明快な議論だと思います、

その種の主張に対する私なりの解答は、
単に「Aが合理的である」という点と、「Aを選択する」という点の間には、
相互によって埋められない隔絶がある、
そこに(ロゴス・モンスターとしてではあるが)まず「意志」が存在する、

そして、「選択」は、行為者のある現実の数だけ存在しているが、
「選択」の結果は、行為者にとっては決定的ではない(未知である)、
したがって、行為者が「Aを選択する」意志には、自ずと主体的な意味あいが加わる、
すなわち、Aの意志は、自発性を伴う選択意志(アリストテレス)であり、
これを私は便宜的に可能な自由意志として考えています、








257 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2011/01/28(金) 17:19:58.84 ID:gGxThd5U0


>>252
結果を知りえないから選択が自由だっていうのは結果論じゃないのか?
どんな結果になったかは選択のプロセスがどのように行われたのかにまったく関係が無い。








261 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/01/28(金) 17:27:47.39 ID:
EbN6imkH0

>>257
世界の成り行きを客観的に観測する科学者的な視点と、
世界の中の諸現実に揉まれながら、リアルに選択を行う行為者的な視点を、
私は区別して考えています、(ショーペンハウアーの「世界は私の表象である」という言葉が、
私の世界観に強い影響を与えています、
科学者の世界と、行為者の世界は、まったくの別物なのです、)









49 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/01/28(金) 13:40:43.53 ID:YWsxM9dE0



けいおんで体育後のムレムレの股間にパンティの上から嗅ぎたいのは


2 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2011/01/28(金) 09:18:35.64 ID:
EbN6imkH0

これは平沢憂ちゃん!








56 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/01/28(金) 13:46:09.96 ID:v6UhBp7r0


>>49
神から与えられた自由意思でこれを書き込んでるのか…







52 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/01/28(金) 13:42:23.51 ID:
EbN6imkH0

>>49
平沢憂ちゃんのムレムレパンティが至高なのは、
神によって決定論的に決められていることですよ^^