徳川埋蔵金

徳川埋蔵金(とくがわまいぞうきん)は、江戸幕府が密かに地中に埋蔵したと伝えられている貴金属(金塊あるいは貨幣)である。埋蔵時期とされる幕末以来、多くの発掘プロジェクトが各地で行なわれ、そのほとんどが全く成果のないままに終わっているが、現在でも自論を根拠に発掘を続けている人々がいる。

g126







t-vip





12年間独りで徳川埋蔵金を調査してきた者だが、ここで調査報告したい



1 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/04/02(土) 05:57:34.58 ID:
NrS2aIxt0

 匿名掲示板で調査報告という形でスレッドを立てた。この場をしばしお借りしたい。
何分、チームにも研究機関にも属していない個人なので理解のほどお願いしたい。

結論からいえば、埋蔵金は確かに存在する。







3 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/04/02(土) 05:58:22.12 ID:bl2N9yjJ0


な、なんだってー!?







9 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/04/02(土) 06:04:50.15 ID:5q7YxUcBO


糸井重里乙








6 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/04/02(土) 06:01:56.08 ID:U9nZfVUiO


まあ話したまえ








5 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/04/02(土) 06:01:09.00 ID:
NrS2aIxt0

まず、どのように調査してきたであるが、12年間の休日を全て埋蔵金調査の為に使ってきた。
いわば趣味と同化しているので問題はなかったのである。
国立図書館の文献、学説、果てはTV、インターネットまで使ってきた。もちろん実地調査も敢行した。









4 名前: 忍法帖【Lv=6,xxxP】 [] 投稿日:2011/04/02(土) 05:59:43.14 ID:rJakgwtr0


詳しく聞こうじゃないか








12 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/04/02(土) 06:06:47.56 ID:
NrS2aIxt0

Re:4
付き合ってくれてありがたい。

一般的な埋蔵金のありかとして囁かれているのは、全国各地の東照宮、足尾銅山、日光市であるが
私はどれもブラフだと結論付けるに至った。 何故か。
答えは西伊豆にある。







13 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/04/02(土) 06:07:37.30 ID:mv3k8Uh50


続け給え







17 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/04/02(土) 06:10:01.42 ID:IoJgAJxs0


西伊豆といえば、高谷城があったな…
まさか、北条家に仕え、富永氏が関係しているのか…?








20 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/04/02(土) 06:10:35.44 ID:UEB6aqsW0


俺浜松なんだけどちょっと伊豆行ってくる









26 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/04/02(土) 06:13:07.79 ID:
YchlMv9Q0

家康は健康に心を砕いた武将であるのはあまりにも有名だ。
各地から健康に良いとされる食品を取り寄せ、なんでも試した。
そう、「温泉」も例外ではない。そこでこの画像を見て欲しい。


img1043









28 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/04/02(土) 06:15:29.94 ID:b+XwOhH/O


あら、ステキな身体








30 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/04/02(土) 06:16:34.62 ID:
YchlMv9Q0

その画像の史料は家康への献上湯の図である。
彼は温泉を愛し、熱海にも自ら赴いたこともある。
では、埋蔵金と何の関係があるのか。ズバリ「運搬方法」である。










36 名前: 忍法帖【Lv=12,xxxPT】 [] 投稿日:2011/04/02(土) 06:21:31.09 ID:NPohqHks0


くそ。寝る前なのに…









37 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/04/02(土) 06:21:51.98 ID:
YchlMv9Q0

埋蔵金伝説には疑問も多い。その一つが「運搬方法」である。

徳川家が明治政府に徴収される前に隠した軍資金、いわゆる埋蔵金の推定額は
350万両とも言われる。1両37.5gであるから、そう重量は131250000g
つまり131.25トンにもなる計算だ。そのような大金をどのように怪しまれずに運んだのか。

そこでその画像なのだよ。









32 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/04/02(土) 06:18:32.81 ID:CsvBstqg0


行きは湯桶に金を入れて運ぶ→帰りは湯を入れて運ぶ
こういう事だな?










43 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/04/02(土) 06:28:40.81 ID:
YchlMv9Q0

Re:32
さすがだ。

攘夷派の目を欺き、なおかつ効率的な運搬方法。
それは「献上湯」である。 温泉好きの家康公に始まり、
徳川幕府が終わる300年間続いた献上湯の歴史。ルートは確保され、「見慣れた光景」として周囲が認知する。

では何故熱海ではなく、西伊豆か









45 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/04/02(土) 06:34:29.87 ID:
YchlMv9Q0

江戸時代当時の西伊豆への陸路はまだまだ険しかった。天下の険「箱根連山」の
存在が大きい。ただ、道は皆無ではなかった。幕府直轄の金山、「土肥金山」への
道がひとつあった。土肥金山は慶長6年(1601年)、徳川家康が目をつけた金山である。

img01







50 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/04/02(土) 07:00:49.43 ID:mnNDG/vD0


おい土肥金山とかすぐ近くなんだけど








54 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/04/02(土) 07:07:00.80 ID:Xl1fD4kmO


埋蔵金みつけたら少しくらいなら分け前やるよ












t-min





徳川埋蔵金って、どこだっけ?



8 :半さん :02/06/24 03:35


重里が掘り返してたのは赤城山でしたよね。
黄金の家康像がでたとかで。



赤城山説

1868年4月に江戸城が無血開城となった際、当時財政難に喘いでいた明治新政府は幕府御用金を資金源として期待していた。ところが城内の金蔵は空であったため、幕府が隠匿したと判断した新政府軍による御用金探しが始まった。

探索の手は大政奉還当時勘定奉行であった小栗忠順にも及んだ。小栗は奉行職を辞任した後、上野国(群馬県)群馬郡権田村に隠遁していた。彼が幕府の財政責任者であったということから「小栗が幕府の金を持って逃げた」といった流言が飛び、更には「利根川を遡って来た船から誰かが何かを赤城山中へ運び込むのを見た」と証言する者まで現れた。加えて小栗が江戸城開城に伴う幕府側の処分者の中で唯一命に関わる刑罰(斬首)となったことも重なり、「幕府の隠し金が赤城山に埋められていることは事実である」と信じた人々が赤城山の各所で発掘を試みた。










9 :1 :02/06/24 14:13


>>8 半さんへ

そうなんですか?
黄金像?どれくらいのおおきさですか?

ここに、レスつけてくれてる方は、埋蔵金って、あると思いますか?






13 :半さん :02/06/25 00:47


>>9
それほど大きなものではないそうです。10cm程度じゃないでしょうか?
あと、確かに>>12で言われてるように当時の幕府は火の車だったはずです。
フランスに600万ドルの借款を申し込んで断られていたくらいですから。
とはいえ、有事の時であったわけですから、多少の蓄えは残していたでしょうし、
かき集めたものも多少はあったと思われます。
戊辰戦争の時、当時幕府の海軍奉行であった榎本武揚が大坂城の御金蔵から18万両もの
軍用金を船に積み込んだ記録があるそうです。ただ、その榎本の艦隊も函館まで北上
する間に沈没したりしてますから、案外、徳川の軍用金は海の底なのかも
しれませんね。







20 :半さん :02/06/27 00:33


埋蔵金に話を戻すと、やはり徳川幕府のお話で大久保長保の埋蔵金の話が
有名です。この人、元を正せば武田家の家臣。その後、徳川家康に仕えて、
石見銀山、佐渡金山、伊豆銀山の奉行を兼任していたという人です。武田氏は
信玄の時代に鉱山開発が盛んだったそうで、優秀な技術者も多く、武田氏滅亡後、
徳川家に召抱えられた人も多かったようです。(蛇足ですが、黒鍬者などと呼ばれた
築城の名手の人達もこの類の人達だったそうです。)
ただ、長保の死後、金銀を横領していたとして、長保の遺●は墓地から掘り出されて磔に
され、子供たちも皆処刑されていました。生前の職歴から察するに、もし本当に長保が
横領した金銀を蓄財していたとしたら相当な量になるでしょう。
有力な埋蔵場所といわれているのが、箱根の仙石原、管理下にあった鉱山のどこか。
鉱山などは廃坑もあり、入り組んでいるのでうってつけの場所ではないでしょうか?
埋蔵場所に関する古文書や絵図もあるそうですが、偽書の疑いもあるとのことで、
江戸時代から今にいたるまで、探す人は後を絶たないが見つかっていない、数少ない
大物の一つですよね。







53 :天之御名無主 :03/07/22 13:05


赤城山に埋める馬鹿が果たしているだろうか?


江戸城に篭城した場合に、絶対取り出せないではないか!!?

討幕軍は当然西からやってくるのであり、

篭城or逃亡しながら使える場所に埋めるはず。


一番可能性のあるのは蝦夷地と思われ。








58 :天之御名無主 :03/07/26 11:00


北海道で大量の古銭が発見されたという話を昔読んだ事があるが・・・
まあこれも埋蔵金といえば埋蔵金か。








83 :天之御名無主 :04/03/29 23:44


赤木山 より 日光東照宮説に賛成。



日光東照宮説

「かごめかごめ」の歌詞は、徳川埋蔵金のありかを示しているとされ、それを解読すると日光東照宮の地下という答えが出てくる。
実際にその場所を金属探知機で調べると、何かが埋めれれているという。
しかし、日光東照宮は国宝に指定されているため、掘りたくても絶対に許可が下りない。









85 :KKK :04/04/13 22:12


そんなものあるわけないよ。あれば、幕府だってむざむざ薩長に負けなかった
ろうし、新政府も国民皆兵にする必要はなかった。金がなかったから安上がり
の徴兵制にしたのである。但し、江戸城を占領するまでは薩長も埋蔵金がある
と思っていた節はある。無かったのが判って一番がっかりしたのが、大久保利通。








104 :天之御名無主 :05/03/18 22:21:23


埋蔵には小栗は関わっていないのが本当らしい。
赤城はダミーで本物は分散埋蔵されているが、
額は少ない上にかなりの部分は掘り出されている。
数千両単位では残っているだろう。

水野家の敷地から出た堀跡は明治初年に外国人が掘ったもの。
糸井は全然下調べをしてないか、インチキを承知で垂れ流した。








105 :天之御名無主 :05/03/20 18:37:36


徳川埋蔵金は小栗上野によって、日光街道から会津若松に持ち込まれた。
但し、小栗上野は同道していない(当然自分は官軍の目をごまかすために、
国下がりの途中あっちゃこっちゃ用もないところへ立ち回って陽動している。)
会津若松で全て軍資として使ってしまったかどうかは疑問。使い切れていない
のであの近辺に隠してある可能性が大。私説では猪苗代湖畔の姥湯あたりの山中あたりか?








106 :天之御名無主 :05/03/20 18:43:47


おそらく残りは函館まで運ばれた公算が高い。
小栗は江戸城無血開城を決定した時、徳川慶喜の袴の裾を踏んで
「お待ち下され」と翻意を促した程の主戦論者だった。









113 :天之御名無主 :2005/04/12(火) 21:58:07


慶喜は無血開城だと言ったのに小栗は慶喜の袴の裾踏んづけて生意気にも翻意をせまったと言うから
慶喜にとって小栗は危険な奴だったのだな。
慶喜はおぼっちゃんで、直弼みたいに殺されたくなかったんで、最初っから御用金で命助けてもらう気で
いたのに、小栗の奴がたかが勘定奉行をかさにきて邪魔しようとしたから。








115 :天之御名無主 :2005/04/12(火) 22:04:52


官軍が江戸城へ乗り込んだ時御金蔵が空だったが御金蔵を開いて見せたのは勝海舟だった。
この時、勝が勘定奉行は小栗で御用金のありかは奴しか知らないとシラを切ったわけだ。









128 :天之御名無主 :2005/06/23(木) 00:31:34


大体幕府再興の軍資金などというのが妙だ。そんな金が
あるなら滅びないっての。今ある金を幕府存続のために
使わず、再興のために隠しておいて滅亡を座視しましょう
なんてアホかと。アボガド








132 :天之御名無主 :2005/06/27(月) 23:08:24


そうね。 
仮にも一国の政府だから資金が全く無いと言うほうがおかしいんだけど
赤城あたりにまとめて300万両というのはガセだね。

いろんな所に分散して持って行ったという方が状況的に自然だ。
赤城は陽動作戦と見るのが妥当と思う。
資料もほとんどが伝聞の記録だし、つくりもんだらけだよ。
あんな不確かな証拠で三代も掘っている人はどうなってるんだろう。








170 :穴掘り人 :2005/08/12(金) 21:30:36


赤木や丸山やその他多くの偽装工作が埋蔵を裏付けていると思うんですが。
既に掘り返して無いって言う人も多いのも事実。







171 :天之御名無主 :2005/08/13(土) 02:55:19


>>170
その偽装が何のために行われたかということが問題だろうね。
俺は倒幕軍等への陽動として行ったと思う。

秘密裏に行動する必要が有る割には、あまりに目撃者が多過ぎるんだ。
また、事態が切迫してるのに工事が長期間過ぎる。
つまり、どうしても大金を埋蔵したと思わせたかったのではないか。

軍用にするなら一箇所或いは同じ地域にまとめて埋蔵するのは危険だね。
実際には分割して搬送して、既に戦費になったり、一部は方々に小額で
埋蔵されたままになってるんじゃないかな。

それと、水野家等に伝わる文書類の大半はガセではないか。
当主も資料の信憑性は信じてないのではと思う。
文献同士の矛盾が多いし、出所も極めて疑わしい。







173 :穴掘り人 :2005/08/13(土) 20:38:38


>>171
倒幕軍への陽動作戦っていうのもある程度わかる気がするなぁ。でも御金蔵に全く小判が無かったっていうのは、どうかなって思います。
分散して埋蔵されているっていうのは、そうでしょうね。戊辰戦争の時に多くは使われているかも?
水野家が偽装なのは、殆どの人がそう思っているでしょうね。だからどこかに埋蔵されてると信じたくなりますね。
もし大量の小判等を埋蔵するなら、大規模な工事に紛れさせて埋めれば怪しまれないと思うんです。
家康を葬った日光東照宮の工事の時に埋蔵した?かな?と私は思うんですが…どうでしょ?








176 :171 :2005/08/14(日) 00:16:13


かごめかごめを埋蔵金、特に日光と絡めるのはどうかと思う。
そもそも、秘匿しなければいけない埋蔵金の在りかを
公衆にさらすわけはないでしょう。

もし、日光に多額の幕府の埋蔵金が有るなら、簡単に官軍に東照宮を
引き渡したのはおかしい。
官軍には交渉によって無血で明け渡している。

分散埋蔵された金の多くは既に建物の下になってしまっているのでは。
直ぐに取り出せるような所に埋めただろうから、
後の工事などで見つかってネコババされたり、そうでないものは
上に道路や建物が出来てるんじゃないかな。









177 :穴掘り人 :2005/08/14(日) 10:18:11


じゃぁ、世良田東照宮は??あそこは、日光東照宮改築の時に移して造ったんでしょ?
赤木や日光を囮にして…??
分散埋蔵しても何の目印も無い場所に埋めるでしょうかね?
作家の小林久三さんが、埋蔵金があるとすれば、自然災害や権力者の交代から比較的守られる場所。例えば神社仏閣である。
と解説してましたけど、私この意見に賛成です。祟りを恐れて掘らないだろうし。
全国の埋蔵金伝説も一定のパターンで埋めてるんじゃないかな?と思うんですが、、。
それと埋蔵場所を絵地図等で残したら、それが無くなったら永遠に見つからないでしょ?
かごめかごめのような歌にして残していけば関係者には伝わっていくだろうし…(これは、夢とロマンを持ち続けたい希望的意見ですが)
でも、10年位前かな?謎学の旅(…多分)っていうテレビ番組で、かごめかごめを解いていったら、徳川埋蔵金伝説につながって、どこかの池の中にたどりついてレーダーで調べたら何かが映った?
ごめんなさい、だいぶん前の事で記憶が確かじゃないんです。誰か覚えてたら教えて!








178 :天之御名無主 :2005/08/14(日) 12:58:42


>自然災害や権力者の交代から比較的守られる場所。例えば神社仏閣である。


いや、神社仏閣なんて宗教施設は権力者が交代したとき一番に狙われるだろ
世界中を見ても権力者の信仰してる宗派と違う建物は壊され、信徒が殺される
なんて腐るほど例があるし、日本でもキリシタン然り一向宗や明治になってからの
廃仏毀釈など権力者によって宗教施設が破壊され、迫害される例は
枚挙に暇が無い
権力者の交代なんて革命的出来事は古い体制を打ち破ることだから、
格好の象徴である宗教施設を壊して祟りなんて恐れないでしょ。
むしろ好んでやってるほうの例が多い。







181 :171 :2005/08/14(日) 21:39:26



今、話題の徳川埋蔵金は幕末まで御金蔵に有ったものを言っているのだから
世良田は考えなくても良いと思う。
それ以前には幕府には埋蔵する理由が特に無い。

幕末の埋蔵の理由について畠山氏は、金の海外流失を防ぐためと言ってるが俺は賛成しない。 
なぜなら、交換レートをきちんと制度化するなど埋蔵に依らないでも、
小栗なら十分に対応する知識が有ったはず。 
金は市場に有ってこそ価値を持つというのは昔の人も馬鹿じゃないから分かってる。
埋蔵の理由はズバリ軍費。

分散埋蔵する場合も目印はあるはずだが、小額なのと現場で急いで作業しているから
不変なものや難解なものは必ずしも使用していないと思う。
従って、その目印も失われてしまっているものが多いだろう。
まあ、埋めた側はそんなに長期には埋めておくつもりは無かったと言う事です。

地図は略図のようなものは有ったと思うが、それだけでは分からないように口伝が有るはず。
伝えるべき人が死んでしまえば、埋蔵されっ放しで構わないと考えるだろう。
下手に敵方に渡れば大変だからね。

一定のパターンでの埋蔵と言うのも同様に極めて危険だし、八門遁甲なんて使うはずはない。
>>178さんの言うとおり、神社仏閣は時の権力とつながるから、体制が変わったときは
真っ先に手が入る。 元々、街道沿いの寺などは重要な戦略拠点だからね。
そんなところに埋蔵したら敵の手に渡る確率が高くなってしまう。
オカルトスレで言うのもナンだが、全体に常識的に判断していけば良いんじゃないかな?









166 :天之御名無主 :2005/08/11(木) 20:16:05


このキレイにしてある雑巾、誰の?


マイ、雑巾……

ごめん。











t-new





徳川埋蔵金ってどこにあるの、本当にあるの?



4 : 錘(アラバマ州):2009/12/14(月) 15:43:02.32 ID:/Fsl2ItF


見えやすいところには無いだろ。
家康だけに。







5 : レポート用紙(大阪府):2009/12/14(月) 15:43:15.24 ID:fIVEwDOs


この世の果てに置いてきた










3 : 平天(関西地方):2009/12/14(月) 15:43:00.78 ID:4en8AGkK


糸井さんがあるって言ってるだろ









6 : 豆腐(福岡県):2009/12/14(月) 15:43:25.26 ID:7jlOw9L4


糸井の家の床下にあるよ









8 : 試験管挟み(埼玉県):2009/12/14(月) 15:43:50.11 ID:Jz/nzHRi


あるよ
ソースはC級コピーライター








26 : 金槌(東京都):2009/12/14(月) 15:48:22.25 ID:/b/dpStA


とっくに糸井さんが見つけて自分の懐に入れてるよ








29 : 指サック(北海道):2009/12/14(月) 15:50:51.95 ID:fiNgec5/


西武とロスチャイルドで山分けして終わった








10 : アスピレーター(コネチカット州):2009/12/14(月) 15:44:07.17 ID:Gvty3Kh+


ここやで(ハートトントン)









t-kou





徳川埋蔵金大研究



64 :出土地不明 :2007/06/16(土) 14:15:37 ID:v3MRJb6h


諸々の状況からして大量の金塊・銀塊が埋蔵されたのは間違いないが、
もはや見つけるのは不可能化と思われ。








65 :出土地不明 :2007/06/17(日) 02:46:30 ID:mDvHxggJ


皇居の天守台の下に金塊が埋まっているらしい。明暦の大火の時に
天守閣が炎上して保管していた大判・小判・金塊が溶けて地面に埋
まったが、完全に回収されてないそうだ。








67 :出土地不明 :2007/06/18(月) 16:22:34 ID:x13Jk+p3


大体、幕末の徳川幕府(財政火の車)に埋蔵出来るほどの
余裕なんてこれっぽちも無かったよ
世情が危ぶまれ薩長が錦旗をおっ立て官軍になり
緒大名(特に、譜代)が寝返り始まった頃、
江戸城内では勤番、登城していた譜代、親藩大名がこぞって
金蔵から金品を持ち出し帰ったこともまた、事実。
従って上野介がどうのとか全く持って笑いが止まらない。
埋蔵するくらいの余裕が当時の幕府に有って実際に埋たのなら、薩長、新政府が、ちなまこになり探しているはずです。
しかし実際は西郷と勝の話し合いで、無血開城+金で解決しています。
>>1
非常に残念だが徳川以外の埋蔵金は有ると思うが、徳川の埋蔵金はまず0%に違い数字だろう。







61 :赤城本命 :2007/06/01(金) 15:31:23 ID:XMP5G7rZ


水野家関係の発見
①家康像・銅皿
②3枚の銅板…謎文、地図、方位図
③亀の像…三州たたき
④朱雀の像…三州たたき(梵字とも言われている)








69 :赤城本命 :2007/06/21(木) 06:49:58 ID:lKnNcQRD


>非常に残念だが徳川以外の埋蔵金は有ると思うが、徳川の埋蔵金はまず0%に違い数字だろう。


 当時の財政状況を見るとその通り。特に反論はないよ。
 漏れが徳川にはまった理由は>>61であげた①②の規則性なんだよ。
 







73 :名無しさん@そうだ選挙に行こう :2007/07/29(日) 11:05:57 ID:LpRqbqQ3


大沼とか魚群探知機で調べたら何か出そう
地下の大洞窟に船ごと隠してるとかだとロマン有るよね








75 :出土地不明 :2007/08/23(木) 11:35:34 ID:XK7+lLxs


埋蔵金の噂を流して幕府にまだ力があると見せたかった








80 :出土地不明 :2007/10/15(月) 12:20:59 ID:fS/Jbduj


隠し財宝なら植林した木のことだと思う。
土石流は防げるし、川下の漁場は豊かになるし、山の手入れをしていけば建材として価値が出る完璧な宝です。
大判小判の金塊みたいな財宝だと錯覚して穴掘り櫓として材木切ったら愚か者。








31 :出土地不明 :2007/01/14(日) 01:08:53 ID:+uVZ7jzn


かごめ かごめ
かごのなかの鳥は
いついつ 出やる
夜あけの ばんに
つると かめと
すべった
うしろの しょうめん
だーれ?









85 :出土地不明 :2007/12/25(火) 18:28:54 ID:8xgIz0Qe


>>31
かごめ歌は明治以降の成立。
しかも日本全国に派生版があるうえに、大本は京都周辺。
>>31のは千葉周辺で歌われていたものがレコードで普及したもの。


そもそも、幕府の政権運営資金を隠匿した、いわゆる徳川埋蔵金は勝海舟の日記で
「使ってはいけない筈なのに使ってしまい最早金蔵は空である。」
と、書かれている。

ロマンというあやふやなもので掘られている方には、最早言うこともないが、


愚にも付かない妄言を吐いて有ると言い張る奴は、有ると言う明確な根拠を示しやがれ!







94 :出土地不明 :2008/08/08(金) 06:14:36 ID:4MOBlvbM


>>85
役人の使い込みか…
今も昔もやる事は同じw








86 :出土地不明 :2008/05/29(木) 03:25:01 ID:LGCB68ov


考古板のネタとしては不適切かもしれないけど
廃藩置県ごろの段階で黒字超過だった藩てどれぐらいあるんだろう。

ほぼゼロ、よくても数えるほどしかないのかな、とは思うんだけど、
いわゆる大判小判の状態で埋蔵金が発掘される条件を考えると、
この時の家と藩の財産に明確に線引きするタイミングで一部の所得隠し行為が行われて、
なんらかの理由でその後再発掘できないような状況になる、
とかぐらいしかロマンの入り込む余地がもうないよね。








87 :出土地不明 :2008/05/29(木) 09:35:20 ID:ZE+0S+1p


財布をひとつと考えるとそうなっるかもしれないが、
一般会計と、特別会計(戦費)と別けて考える必要はある。
現日本の財政も赤字国債を発行しなければ国がなりたたないが、
ご存知の通り、無駄で使われない特別会計はジャブジャブある。
大東亜戦争中後もそう。
国民や兵器などが貧しく貧疎になったのは、財政のせいではない。
大和出撃の際も乗組員に給料を出している。さらに沖縄上陸後の当面の戦費も持たせて出撃させている。
ひとつの時代が終わるとき=金が無い状態ではない。

戦費まで手を付けた藩はあったとおもうが、幕府や藩が無一文になったとは考えづらい。
(幕府直轄地の石高と当時の米の価格および物価を計算すると「幕府の懐がわかる」)
その戦費が、どこかに埋蔵されたか、新政府に持っていかれたかは不明である。









88 :出土地不明 :2008/05/29(木) 17:39:28 ID:wQU1MlIl


>戦費まで手を付けた藩はあったとおもうが、幕府や藩が無一文になったとは考えづらい。


鳥羽伏見の戦いのあと、大阪城から18万両が持ち出されているから、
幕府崩壊の時でも、それ位は江戸城にもあったと思うよ。









111 :出土地不明 :2008/10/14(火) 11:17:21 ID:qbh7Xe2o


埋蔵金が、何故に赤城山なのか?
諸説紛々だが、ハッキリ理解できるものはなく意味がわからん。
もし「徳川の埋蔵金」なるもの本当にあると仮定した場合だが、赤城山説はダミーじゃないのかな?
政府(幕府)を挙げての資金隠蔽事業ならば、もっと緻密に賢くやらないか?
大量の荷駄や人足を庶民に見せつけて、プロパガンダするくらいあたりまえにやるだろうな。
しかも、もっともらしい証拠ぽい亀や鶴の銅板だの家康の金像だのと、いかにも怪げなトラップ臭い。
虎の子の軍資金ならば、官軍に接収されたら一大事だ。簡単な方法はとるまい。
埋蔵金があるとしたら、赤城山ではなく別の場所だよ。
官軍も踏み入りにくい場所とかさ。意外と近場に隠してたりしてね。

あくまでも埋蔵金が実在するならばとの仮定の話しだが。








116 :出土地不明 :2008/10/15(水) 09:23:43 ID:t+/cLSOz


赤城山にはないだろうな。
赤城山というより、埋蔵金なるものは存在してないと思うよ。
義経伝説や武田埋蔵金伝説などと同じ類の話だね。
赤城山埋蔵金伝説を観光資源として町おこしする分には、よいのではないか。
埋蔵金伝説で夢を見れるならば、その夢こそ埋蔵金なんだよ。








124 :出土地不明 :2008/10/18(土) 15:42:20 ID:gUdTbejA


まぁまぁ埋蔵金が最初からないって話はこの際置いといて・・・

私は赤城は実に手の込んだフェイクで、本命は人が触りたがらないところ、
たとえば神社・仏閣など祟りなどを盾に発掘を躊躇させるような場所が一番
手っ取り早いと思う。
それに赤城のように鬼のような深さまで重機のないあの時代に掘るなんて、
正当な幕府の人間が掘るにも何十年もかかってしまう。そんなところには普通
埋めない。もっと楽に掘り出せる深さにあるはず。

やはり日光東照宮があやしい。








131 :出土地不明 :2008/10/21(火) 01:31:35 ID:oOxOJ43K


徳川埋蔵金の目的はもちろん徳川家の再興に供すること。
つまり在処を知る者がそれを掘り返して利用するのは
徳川家を中心とした日本支配体制の確立が決定的となった時機に限られる。

徳川家の子孫を首班とする独裁政権の出現を求める世論が高まれば、
自然と埋蔵金の場所も判明するだろう。









136 :出土地不明 :2008/10/27(月) 22:26:43 ID:t1HNUz8I


夢は夢のまま静かに眠らせた方がいい









t-nan





徳川埋蔵金はここかなぁ(迫真)



2 :風吹けば名無し :2011/03/26(土) 18:00:39.33 ID:H5pOA6nD


あのさあ







3 :風吹けば名無し :2011/03/26(土) 18:00:55.00 ID:QwR26ukD


ここか~(ニヤニヤ)







6 :風吹けば名無し :2011/03/26(土) 18:02:27.70 ID:Zl3cIuXV


オラオラもっと掘れや
発掘遅せーぞ!








9 :風吹けば名無し :2011/03/26(土) 18:06:04.77 ID:pgrcjzbI


ここ掘れ、ワン、ワン
ワン、ワンワン