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19 名前:名無しさん@涙目です。(北海道)[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 20:14:01.64 ID:TGyaYr420


フィギュアスケートが日本の国技になってた








24 名前:名無しさん@涙目です。(埼玉県)[] 投稿日:2011/06/17(金) 20:14:30.94 ID:13S/0d5A0


ホトトギスが絶滅してた









764 名前:名無しさん@涙目です。(catv?)[sage] 投稿日:2011/06/18(土) 10:11:26.77 ID:E59wSLGl0


毛利•長曾我部•上杉•武田による第二次包囲網が敷かれて畿内にまで押し戻される
その後天皇による停戦の詔が出された後に各地大名による封建統治が開始される
軍備は維持しないといけないため、各地に職業軍人が登場
マスケット銃からライフル銃にアップグレードし、軍事技術が発展する
各地の大名から代議士を選出し、全国的な政策を決定する議員制が確率
軍事技術の発展により生産技術も向上し、内燃機関の開発が成功、産業革命の開始
各地に研究機関が設立され現在の大学となる
都市部の開発により環境汚染の深刻化
封建統治の終了、連邦制に移行


ここまで読めた






41 名前:名無しさん@涙目です。(dion軍)[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 20:16:55.01 ID:f6pKXian0


第二の明智光秀に殺されてたんじゃないかな
あのやり方では謀反で終えるのは必然








110 名前:名無しさん@涙目です。(中国地方)[] 投稿日:2011/06/17(金) 20:27:34.09 ID:zIv/ljpk0


普段クラスで目立たないやつが何か盛り上がってるときに
ちょっと調子に乗って先生に反抗したらみんなドン引きの空気









219 名前:名無しさん@涙目です。(dion軍)[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 20:44:52.92 ID:aysiWjOo0


桐野作人が稲葉家譜を元に「本能寺は家臣の斎藤利三主導だったんじゃないか」
って説を提唱してて面白かった
斎藤利三は帰属のことで揉めて、一度信長に切腹を命じられたとか








387 名前:名無しさん@涙目です。(愛知県)[] 投稿日:2011/06/17(金) 21:12:31.64 ID:jm/Z/Eau0


変なのは主殺しなのに兵隊が従ってる点なんだよな。
主殺しすれば周りから狙われまくるって雑兵でもわかるから
普通ばったばったと離脱するはずなんだけど。
なにかの密約があって、梯子を外されたのが合理的な推理だろ。







401 名前:名無しさん@涙目です。(内モンゴル自治区)[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 21:14:17.60 ID:FmnNxZFdO


>>387
知らされてなかった、ってのが一番筋が通る







460 名前:名無しさん@涙目です。(関西・北陸)[] 投稿日:2011/06/17(金) 21:30:05.82 ID:5ARhuyOdO


>>387
主君の主君は主君でないのが封建主義。
忠臣蔵の赤穂藩の旧臣達が、幕府の要人を殺害しても、
逆賊の扱いでなく、忠臣と称えられたのは、忠義を果たす対象が幕府でなく、
浅野家にあったからだ。
斎藤利三ら明智の家臣が忠義を果たすのは織田家でなく、明智であったから
逆に、細川、筒井は明智の指揮下にあったけども、
明智の家臣でなく、織田からの与力であるから、
忠義を通すのは織田家であるべきだった。








619 名前:名無しさん@涙目です。(dion軍)[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 22:37:54.41 ID:aysiWjOo0


>>387
「家康を討ったのだと思ってた」
っていう参加した兵士の覚え書きが残っとる
http://ja.wikipedia.org/wiki/本城惣右衛門覚書



一、あけちむほんいたし、のぶながさまニはらめさせ申し候時、
ほんのふ寺へ我等よりさきにはい入り候などゝいふ人候ハゞ、それハミなうそにて候ハん、と存じ候、

そのゆへハ、のぶながさまニはらさせ申す事ハ、ゆめともしり申さず候、
その折ふし、たいこさまびつちうニ、てるもと殿御とり相ニて御入り候、それへ、すけニ、あけちこし申し候由申し候、

山さきのかたへとこゝろざし候へバ、おもいのほか、京へと申し候、我等ハもその折ふし、いへやすさま御じやらくにて候まゝ、
いゑやすさまとばかり存し候、ほんのふ寺といふところもしり申さず候、

人じゅの中より、馬のり二人いで候、たれぞと存候へバ、さいたうくら介殿しそく、こしやう共に二人、
ほんのぢのかたへのり申され候あいだ、我等そのあとニつき、かたはらまちへ入り申し候、それ二人ハきたのかたへこし申し候、

我等ハミなみほりぎわへ、ひがしむきニ参り候、へん道へ出申し候、そのはしのきわニ、人一人い申し候を、そのまゝ我等くびとり申し候、
それより内へ入り候へば、もんハひらいて、ねずミほどなる物なく候つる、そのくびもち候て、内へ入り候、

さだめて弥平次殿ほろの衆二人、きたのかたよりはい入り、くびハうちすてと申し候まゝ、だうの下へなげ入れ、
をもてへはいり候へバ、ひろまニも一人も人なく候、かやばかりつり候て、人なく候つる、

くりのかたより、さげがミいたし、しろききたる物き候て、我等女一人とらへ申し候へバ、さむらいハ一人もなく候、
うへさましろききたる物めし候ハん由、申し候へ共、のぶながさまとハ存ぜず候、その女、さいとう蔵介殿へわたし申し候、

御ほうこうの衆ハ、はかま・かたぎぬにて、もゝだちとり、二三人だうのうちへ入り申し候、
そこにてくび又一ツとり申し候、その物ハ、一人おくのまより出、おびもいたし申さず、刀ぬき、あさぎかたびらにて出申し候、

その折ふしハ、もはや人かず入り申し候、それヲミ、くずれ申し候、
我等ハかやつり申し候かげへはいり候へバ、かの物いで、すぎ候まゝ、うしろよりきり申し候、

その時、共ニくび以上二ツとり申し候、ほうびとして、やりくれ申され候、のゝ口ざい太郎坊ニい申し候、





44 名前:名無しさん@涙目です。(長屋)[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 20:17:31.72 ID:ehjwIuj00


二代目がバカぞろいだから同じじゃねえの?要は秀吉の下克上。








69 名前:名無しさん@涙目です。(dion軍)[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 20:21:39.21 ID:f6pKXian0


>>44
長男は結構優秀だったらしいが








98 名前:名無しさん@涙目です。(長屋)[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 20:25:32.63 ID:ehjwIuj00


>>69
それは太田牛一のヨイショも多少はいっててさ、あの3人の中ではマシかなーくらいだろ。
政治的治績もないし、これといった戦績はあげてない。

総大将はやるけど、実質はぜーんぶお膳立てされてる。まあ、それがお殿様だよと言われたら
それはそうなんだけどな。カリスマがあったわけでもないし、判断も悪い。二条城にいるなら
兵力に余裕があるんだから逃亡すればよかった。現に有楽斎は逃げてる。逃げればいくらでも
織田家再起できただろ。逆臣明智を討つ!ってな感じで。








255 名前:名無しさん@涙目です。(関西・北陸)[] 投稿日:2011/06/17(金) 20:50:33.01 ID:5ARhuyOdO


信長じゃなくても、信忠が生きていたらかなり変わっていた。
信忠は後継者として揺るぎのない地位にあって、
当然、清洲会議の後継者争いが起きなかったし、
信忠が生存によって、織田家臣の分裂が避けれた。

へうげものでも描かれていたが信長の弟の長益が信忠に自害を勧めた言われている。
だが、当の長益は明智の包囲下にあった二条城から脱出している。
信忠も生存して、織田家臣を糾合し、仇を討つ意思さえあったなら、
歴史は大きく違っていた。










46 名前:名無しさん@涙目です。(神奈川県)[] 投稿日:2011/06/17(金) 20:17:46.31 ID:vVxnkT/t0


天下統一後病死でも結局秀吉が出てきて家康が出てきてって感じで何も変わらんじゃないの?









61 名前:名無しさん@涙目です。(福井県)[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 20:19:48.66 ID:23T96zAy0


>>46
秀吉は弟子だし
普通に天下取ったら協定結んで
家康なんかが付け入る隙与えなかったと思うぞ








78 名前:名無しさん@涙目です。(愛知県)[] 投稿日:2011/06/17(金) 20:22:38.71 ID:yvnzHlWX0


>>46
結局秀吉は家康を放置したからな
家康小田原手に入れてなかったらそんときの秀吉と一緒のレベル








322 名前:名無しさん@涙目です。(中部地方)[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 21:00:49.59 ID:p0BbtVNo0


>>46
天下統一したら秀吉なんて真っ先に殺されるか放逐されるだろ








117 名前: 忍法帖【Lv=19,xxxPT】 (福岡県)[] 投稿日:2011/06/17(金) 20:28:51.47 ID:C1m/uvmw0


信長が生きていたら出る杭は叩くで秀吉も家康も殺されている








122 名前:名無しさん@涙目です。(dion軍)[] 投稿日:2011/06/17(金) 20:29:45.79 ID:iP9G2PqE0


>>117
殺しはしないけど外国で戦いに明け暮れる生涯を送ることになっていただろうな









210 名前:名無しさん@涙目です。(関西)[] 投稿日:2011/06/17(金) 20:42:42.04 ID:RdoM8y74O


みんなもう少し真面目に考えようよ
首都は大阪で日本はアジアを征圧してるだろうから
イスラム日本連合対白人の構図になってたはず
明智はほんと余計な事しでかしたよな








243 名前:名無しさん@涙目です。(catv?)[] 投稿日:2011/06/17(金) 20:48:12.46 ID:Dal8xtm00


>>210
キリストにやられたことだろ
光秀ってカトリックでしょ








234 名前:名無しさん@涙目です。(中部地方)[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 20:46:45.95 ID:5rI/ALf4P


衆道がメジャーになってた。

300px-ShudoMonogatari







245 名前:名無しさん@涙目です。(奈良県)[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 20:49:06.60 ID:QAOVYPvO0


>>234
メジャーだったんじゃねえの
江戸時代に歌舞伎が売春の温床になるから
女歌舞伎禁止にしたら
少年歌舞伎が流行ってまた売春の温床になって
今度は少年歌舞伎が禁止されるなんて話もあったし








237 名前:名無しさん@涙目です。(神奈川県)[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 20:47:19.36 ID:LzQbXRwO0


案外、信長は人でなしじゃないかもしれん
比叡山の焼き討ちは南京大虐殺レベルの嘘っぽいし
周りが怖がってただけな気がするわ







242 名前:名無しさん@涙目です。(大阪府)[] 投稿日:2011/06/17(金) 20:48:05.21 ID:/V3FTWI80


>>237
嘘というか、現代の感覚で言うとタリバン壊滅とかそんな感じ








264 名前:名無しさん@涙目です。(関西地方)[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 20:52:06.41 ID:kZCU2Cd50


>>237
比叡山焼き討ちは武装坊主相手だから仕方ない
むしろ晩年の秀吉の方がきちがい








346 名前:名無しさん@涙目です。(関西・北陸)[] 投稿日:2011/06/17(金) 21:03:47.81 ID:5ARhuyOdO


>>264
そうだよな。
比叡山は浅井朝倉を匿うという明らかな敵対行動をとった。
自業自得みたいなもんだ
信長にとっては宗教が世俗的な権力を握って
政治、軍事に介入しようとするのが許せんかったんだろうな








357 名前:名無しさん@涙目です。(catv?)[] 投稿日:2011/06/17(金) 21:06:33.73 ID:BvQYOu680


信長は比叡山焼き討ちに朝廷の許可を取ってからやってるのにな
朝廷の許可を得るために莫大な金をばら撒いた

最終的に神祇管領長を務めた吉田家(唯一神道)から打つべしと言われてやったと文献史学で明らかなのに
独断専行と思われてる







326 名前:名無しさん@涙目です。(栃木県)[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 21:01:44.84 ID:+jDNjuiW0


でも、今の日本には織田信長の様な政治家が欲しいよね。

ニートをぶった切るとか敦盛の様に50歳超えたら給料下げるとか。








265 名前:名無しさん@涙目です。(九州)[] 投稿日:2011/06/17(金) 20:52:19.79 ID:KX8m11QBO


秀吉が侵略失敗したから結局織田もそうなると思う。
んで、外向きの政策が内向きの徳川みたいな政権に収まると思うわ

数百年ごとに日本は勘違いして島国から外に出てしまう国だからね、第二次大戦もしかり








278 名前:名無しさん@涙目です。(奈良県)[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 20:54:28.27 ID:QAOVYPvO0


>>265
渡海戦で大国落とそうなんて
当時の技術じゃ元々無理があるからな








409 名前:名無しさん@涙目です。(dion軍)[] 投稿日:2011/06/17(金) 21:16:38.65 ID:45qtve7g0


信長なら朝鮮無視して東南アジアで太平洋戦争やってただろうな
極東に戦力まわせない欧米じゃ信長ジャパンには適わん








426 名前:名無しさん@涙目です。(愛知県)[] 投稿日:2011/06/17(金) 21:20:44.01 ID:/gYyM8pT0


>>409
東南アジアにまとまった軍を運べるまともな軍船が日本にはないだろ。
朝鮮水軍といい勝負してる程度の日本水軍ではとてもとても。








440 名前:名無しさん@涙目です。(dion軍)[] 投稿日:2011/06/17(金) 21:24:48.58 ID:45qtve7g0


>>426
作るに決まってんだろ
信長なめんなよ









431 名前:名無しさん@涙目です。(大阪府)[] 投稿日:2011/06/17(金) 21:21:56.85 ID:/V3FTWI80


>>426
軍艦を西欧から買ったかもしれんだろう








449 名前:名無しさん@涙目です。(東京都)[] 投稿日:2011/06/17(金) 21:28:01.35 ID:xSCxhz8T0


>>431
航海術は買えないからなあ
あれ実地で何年も修行必要だし
幕末に日本で一番の船乗りっていわれる塩飽水夫を一年くら帆船用に訓練させて咸臨丸に乗せたら
不慣れと船酔いでまともに使えずに結局アメリカ人水夫にかわってもらったってことがあるし

300px-Kanrinmaru









455 名前:名無しさん@涙目です。(大阪府)[] 投稿日:2011/06/17(金) 21:29:22.37 ID:/V3FTWI80


>>449
でも倭寇とかは結構外洋でてたんじゃないかなぁ
信長だったらその辺の人材も使いそうな気がする








476 名前:名無しさん@涙目です。[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 21:34:22.83 ID:DTKL4hrG0


南蛮攻めだけど、要はフィリピンを攻めて何か意味があるか
つまり旨みがあるかどうかだな

海軍の維持はカネがかかる
対外戦争の経験がない

このふたつの要素がでかいな








492 名前:名無しさん@涙目です。(catv?)[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 21:38:22.33 ID:3hHu972U0


>>476
スペインからしたらアジアでの活動拠点という大きな意味はあるが、
日本にはほとんどないな。








510 名前:名無しさん@涙目です。(宮城県)[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 21:44:39.71 ID:78vTxpg/0


>>492
呂宋壺とか有難がったミーハーな国民性なんだから鼈甲とか砂糖とか結構欲しいもんあるんじゃないかな

1301







528 名前:名無しさん@涙目です。(catv?)[] 投稿日:2011/06/17(金) 21:55:22.26 ID:3hHu972U0


まあ実際少し後には日本も東南アジアに拠点持って貿易などしてたわけで。


さらにその後はそれらを切り捨てる。
そのほうが日本の益だったからなわけで、軍隊送って占領なんてする利は特に見出せない。
西洋みたいな宗教的情熱とか、アレクサンダーみたいな誇大な領土欲でもなければ。








542 名前:名無しさん@涙目です。(宮城県)[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 22:02:55.81 ID:78vTxpg/0


>>528
それは徳川政権の宗教政策含めた保守的な選択じゃないの?
織田の政権が続いたらどうなったか、というスレなんだし
武力で進出したかはともかく、貿易はやったんじゃないかなぁ、それもかなり大規模に








549 名前:名無しさん@涙目です。(catv?)[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 22:07:01.86 ID:3hHu972U0


>>542
キリスト教布教は西欧の侵略と重なるよ。
分離はできない。

それがわかったからの幕府の政策であり、秀吉の禁令であり、だれでも同じことをしたろう。








587 名前:名無しさん@涙目です。(関西・北陸)[] 投稿日:2011/06/17(金) 22:21:15.56 ID:5ARhuyOdO


>>549
秀吉がキリスト教に厳しくなったのは、九州で日本人が売られている
と知ってからじゃなかったか?

信長がキリスト教に親しくしていたのは、既存宗教に対抗を考えていた。
そして、宣教師が西洋の植民地計画の斥候との認識
を信長はしていなかったのではないか









597 名前:名無しさん@涙目です。(catv?)[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 22:26:19.56 ID:3hHu972U0


>>587
それもあるし、秀吉のしらぬ間に土地が教会のもの=外国領みたくなってたのを知ったというのもあるとされる。

幕府も数十年かけて鎖国体制となった。
誰が日本の支配者でも同じだったろう。
それほど当然の選択だと言える。








289 名前:名無しさん@涙目です。[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 20:56:11.29 ID:1bI4Qv6/0


フロイスは安土城をヨーロッパの中で最も立派な城と比べても見劣りしないとか記したが、
ヨーロッパの壮大な石造建築を見てきたはずの彼が極東の島国の木造建築に対して
本当にそこまで思ったのかどうか
大げさに書いとこって感じだったのでは?

20090720 火天の城 画







310 名前:名無しさん@涙目です。(大阪府)[] 投稿日:2011/06/17(金) 20:59:49.91 ID:/V3FTWI80


>>289
当時のヨーロッパの城っていいものでもこんな規模だぞ

http://ja.wikipedia.org/wiki/ユッセ城

450px-Cote-chateau_fort_d'Usse






359 名前:名無しさん@涙目です。(関東・甲信越)[] 投稿日:2011/06/17(金) 21:06:50.07 ID:RgxAtq2HO


>>289
昔のヨーロッパの城なんて外観だけ立派で中身カラッポ
ただの石の箱、トイレすらなかったからな







377 名前:名無しさん@涙目です。(チベット自治区)[] 投稿日:2011/06/17(金) 21:10:03.68 ID:Mr5wH5aA0


>>289
多聞城なんて田舎城を誉めすぎじゃないかと常々思っておったわ








395 名前:名無しさん@涙目です。(チベット自治区)[] 投稿日:2011/06/17(金) 21:13:57.97 ID:UfiGMIYv0


>>289
皇居のお堀や石垣見る度にぎょええええってなる
大阪城も凄い
それより時代は前だけどあの信長の築城だもん
奇天烈だったに違いない








420 名前:名無しさん@涙目です。(中国四国)[] 投稿日:2011/06/17(金) 21:19:35.60 ID:X1dEdeRa0


>>289
宣教師達の日本研究というか現地研究はすごいよ
フロイスの場合残ってる記録でたびたび東西の文化や価値観に違いを説明してる
おおげさじゃなく日本と欧州の風土の違いを理解した上で木造建築を評価してる
あと他国を制服した宣教師達と違って
日本の宣教師達は日本人という民族性を尊重して合わせる布教という方針にしたから弾圧を受けても隠れキリシタンが根強く残った
日本人信者としては苦しんだかもしれないがおまえらが当時の日本を多角的に見られるのは彼らのお陰









435 名前:名無しさん@涙目です。[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 21:22:54.99 ID:DTKL4hrG0


>>420
恐ろしい連中だ
まわりが皆カトリックにならなくて良かった
鎖国に感謝だな









325 名前:名無しさん@涙目です。(沖縄県)[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 21:01:20.47 ID:dZVZb62r0


信長って天皇になりたいとか言ったから
殺されたんだよな








340 名前:名無しさん@涙目です。(中部地方)[] 投稿日:2011/06/17(金) 21:03:13.49 ID:xS5q3e4f0


天皇家が黒幕だったら明智あんな無残な負け方してねーよ
本能寺の変って信長を殺すチャンスではあったがどう考えても根回し足りてないし、
単純に魔が差したか激務でノイローゼにでもなってたんだろ









694 名前:名無しさん@涙目です。(広島県)[sage] 投稿日:2011/06/18(土) 04:36:18.10 ID:Dkh/k3lg0


>>340
>激務でノイローゼにでもなってたんだろ


コレこの前の番組でいわれてたな
明智自身が本能寺の変のころは武将として働くにはもう歳をとっててしんどいのに激務で、
しかも配置換えでってのでまともに思考できてなかったんじゃないかと








699 名前:名無しさん@涙目です。(チベット自治区)[sage] 投稿日:2011/06/18(土) 05:49:49.07 ID:8KY7uh1w0


>>694
藤本正行の「信長の戦争」では、関東送りされた滝川一益の姿に
恐れを抱いたのではないかと推察している。
激務に加え、教養人だった光秀が京畿を離れて九州送りでもされたら
どうなるであろうかと

kul






361 名前:名無しさん@涙目です。(岩手県)[] 投稿日:2011/06/17(金) 21:07:04.55 ID:U5ZgsCUR0


家康に負けてやっぱり江戸幕府








383 名前:名無しさん@涙目です。(関西地方)[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 21:11:26.30 ID:kZCU2Cd50


>>361
何で家康と戦うんだよww
信長が生きてたらパシリのまま終わってるわw








390 名前:名無しさん@涙目です。(四国)[] 投稿日:2011/06/17(金) 21:13:06.17 ID:pFSRKpXqO


>>383
家康はなんかしら仕掛けてきそうだけどなあ








412 名前:名無しさん@涙目です。(dion軍)[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 21:17:09.94 ID:yXQTs/ek0


>>390
家康は実際はそんな腹黒タヌキじゃないよ
織田の天下が盤石なら決して裏切らないと断定していいくらいに義理堅い人物
家康が天下とれたのは、そういう信用が天下一だったからだと司馬さんがいってた









452 名前:名無しさん@涙目です。(北海道)[] 投稿日:2011/06/17(金) 21:28:54.79 ID:N0tFkaq10


まあ鎖国は無かったろうし、当時の状況から考えると
東亜中心にそれなりのアジア帝国は築いたろうけど
その後は信長の死去でやっぱり有力所が内外で騒いで分裂
やっぱり駿・遠・三を押さえてた徳川がスタートダッシュに成功して
大差無い状況じゃねえかな。







473 名前:名無しさん@涙目です。(catv?)[] 投稿日:2011/06/17(金) 21:33:41.65 ID:MQBDxR180


>>452
そこまで広がると日本以外の人種も混じって今名前すらない奴が支配してるかもな








831 名前:名無しさん@涙目です。(catv?)[] 投稿日:2011/06/19(日) 02:16:06.05 ID:gq6Lwv420


鎖国はなかったかもな

とにかく、鎖国は日本をめちゃくちゃにした
250年間鎖国で引きこもったせいで、開国後は無理な近代化にいそしむことになり
その結果が、第二次大戦であり福島原発だよ








833 名前:名無しさん@涙目です。(チベット自治区)[] 投稿日:2011/06/19(日) 05:21:38.57 ID:T82gaADh0


>>831
でも鎖国がなかったら、徐々に中枢に進入されて欧米の傀儡になってた可能性がある。
国がまとまる前に欧米と絡むことになると、
内部闘争を煽られた挙げ句、分割統治されたかもしれない。









155 名前:名無しさん@涙目です。(catv?)[] 投稿日:2011/06/17(金) 20:34:53.67 ID:3hHu972U0


基本変わらんよ
個人が歴史を変えることはない
歴史の流れに乗るだけ








174 名前:名無しさん@涙目です。(長屋)[] 投稿日:2011/06/17(金) 20:36:36.39 ID:gBJV1D9l0


>>155
極論イクナイ








184 名前:名無しさん@涙目です。(catv?)[] 投稿日:2011/06/17(金) 20:38:26.74 ID:3hHu972U0


>>174
どこが極論なんだ
大陸進出や鎖国がなくなるなど考えるほうがよっぽど極論








236 名前:名無しさん@涙目です。(長屋)[] 投稿日:2011/06/17(金) 20:47:06.58 ID:gBJV1D9l0


>>184
でも史実とはだいぶ違った形で実現されただろうと思うよ
環境や地政学も大事だけど、個人の力を過小評価するのもよくない








297 名前:名無しさん@涙目です。(catv?)[] 投稿日:2011/06/17(金) 20:57:59.96 ID:3hHu972U0


>>236
個人の影響力は歴史の流れをいくらか早くできるか(適合するか)、遅くするかくらいのもの。


ポルポトレベルですらカンボジアの歴史を数十年遅らせたくらいだろう。
ましてや信長は優れた人物とは言え当時の社会をほとんど逸脱してない人物。

それぞれのポジションを誰がするかと言うのは変わっても、歴史はさほど変わらない。








318 名前:名無しさん@涙目です。(長屋)[] 投稿日:2011/06/17(金) 21:00:24.79 ID:gBJV1D9l0


>>297
現代社会で数十年のブランクは決定的だと思うけど
視点がマクロすぎてなんか歴史哲学みたいだね





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