http://ja.wikipedia.org/wiki/モンゴル帝国 モンゴル帝国は、モンゴル高原の遊牧民を統合したチンギス・カンが1206年に創設した遊牧国家。 モンゴル帝国の創始者チンギス・ハーンと『四駿四狗』やその他の後継者たちはモンゴルから領土を大きく拡大し、 西は東ヨーロッパ、アナトリア(現在のトルコ)、シリア、南はアフガニスタン、チベット、ミャンマー、東は中国、朝鮮半島まで、ユーラシア大陸の大部分にまたがる歴史上最大の世界帝国を創り上げた。 最盛期の領土面積は約3300万km2で、地球上の陸地の約25%を支配し、当時の人口は1億人を超えていた。 |
6 名前:名無しさん@涙目です。(岩手県)[] 投稿日:2011/08/13(土) 18:11:31.06 ID:34NujJoq0
朝青龍が馬に乗って突っ込んできたら誰でも逃げるだろ
3 名前:名無しさん@涙目です。(大阪府)[] 投稿日:2011/08/13(土) 18:10:04.16 ID:gIDRsV7d0
捕まえた敵には溶かした銀を目に流し込むんだろ?
10 名前:名無しさん@涙目です。(不明なsoftbank)[sage] 投稿日:2011/08/13(土) 18:15:41.72 ID:YgJj4bFd0
モンゴル兵とかフン族とか蛮族度が半端じゃないな
城攻めで堀があったら土嚢運ぶの大変だから近所から農民連れてきて堀に飛び込ませて埋めたり滅茶苦茶やってる
ネズミの皮で作った衣がぼろぼろに擦り切れるまで服を変えないとか、
西洋人が抱くアジアの野蛮のイメージには底知れない不気味さがあるんだろうな
西洋人が野蛮じゃないとは思わないけど、鯨が~とか犬食が~ってアジア人が思うよりはるかに野蛮なイメージなんだろうと思う
15 名前:名無しさん@涙目です。(catv?)[] 投稿日:2011/08/13(土) 18:19:48.97 ID:KremTeu9i
モンゴル軍の残虐な行為もっと聞かせろ
19 名前:名無しさん@涙目です。(埼玉県)[sage] 投稿日:2011/08/13(土) 18:22:35.48 ID:2Xp+TwtT0
>>15
襲われる予定の街が先手を打って財産と食料を全て差し出す
→「よ~しいいだろう、ちょっくら街ん中で休憩させてもらおうか」
→許可出す→『ヒャッハー!皆殺しだー!』
31 名前:名無しさん@涙目です。(東京都)[sage] 投稿日:2011/08/13(土) 18:31:09.02 ID:y0qAm9Qq0
>>15
バトゥは街を占領したあと、住民を女子供にいたるまで切り殺し、川でおぼれさせ、
神父をひとりあまさず切って、町全体を焼きはらった。
バトゥハーンは、キリスト教徒の血が夥しく流されるのを見て、
ますますたけり狂い、ヴラジーミルの街へと向かいました。
イイハナシダー
39 名前:名無しさん@涙目です。(東京都)[sage] 投稿日:2011/08/13(土) 18:36:30.94 ID:cSGyp/610
>>15
http://members.jcom.home.ne.jp/invader/works/works_8_a.html
130 名前:名無しさん@涙目です。(dion軍)[sage] 投稿日:2011/08/13(土) 20:49:20.26 ID:sRNdg9ez0
>>39
モンゴルちゃん屑すぎるだろw
174 名前:名無しさん@涙目です。(catv?)[] 投稿日:2011/08/13(土) 22:56:41.58 ID:nIJ1Dr7Q0
>>39
モンゴル人が許さないリストに入った。連中はごめんなさいしたの?
|
|
624 名前:名無しさん@涙目です。(長野県)[] 投稿日:2011/08/14(日) 15:01:50.23 ID:bMumdS6U0
>>39
すげーwwww
こんなにすごいことしてたなんて横山のおっさん書いてなかったw
876 名前:名無しさん@涙目です。(長屋)[] 投稿日:2011/08/15(月) 11:06:55.41 ID:MdDdIcud0
>>39
>当時5000万人ほどいた中国の人口がわずか30年後にした調査によると約900万人ほどになってしまったというから虐殺の規模がうかがい知れる。
モンゴルヤバすぎワロタw
47 名前:名無しさん@涙目です。(catv?)[] 投稿日:2011/08/13(土) 18:43:58.38 ID:KremTeu9i
>>39
読んだけどここまでの残虐性とあとなんでそこまで強かったかが良く分からんな
投石機と騎馬だけでヨーロッパまで攻めれるとはとても思えん
52 名前:名無しさん@涙目です。[sage] 投稿日:2011/08/13(土) 18:48:34.48 ID:soH8i6uR0
>>47
補給が自前で可能
機動力
交易による経済力
30 名前:名無しさん@涙目です。(大阪府)[] 投稿日:2011/08/13(土) 18:29:17.30 ID:h9g8tf0F0
馬乗って突撃とかただの妄想
実際は馬に乗りながら弓で相手を削ってただけ
距離詰められると後退して間合いを維持
34 名前:名無しさん@涙目です。(広島県)[] 投稿日:2011/08/13(土) 18:33:52.52 ID:VWmXEgpG0
>>30
一番やらしい戦い方だよな
26 名前:名無しさん@涙目です。(catv?)[] 投稿日:2011/08/13(土) 18:26:37.80 ID:KremTeu9i
対馬に行った時も何かえげつない仕打ちしてたような気がするけど何してたっけ
http://ja.wikipedia.org/wiki/元寇
元寇とは、日本の鎌倉時代中期に、当時大陸を支配していたモンゴル帝国(元)及びその服属政権となった高麗王国によって二度に渡り行われた対日本遠征の呼称である。
一度目を文永の役(ぶんえいのえき・1274年)、二度目を弘安の役(こうあんのえき・1281年)という。蒙古襲来とも。主に九州北部が戦場となった。
50 名前:名無しさん@涙目です。(大阪府)[] 投稿日:2011/08/13(土) 18:47:05.47 ID:a7SR0yPk0
>>26
「十月に蒙古国より筑紫によせて有りしに、対馬の者かためて有りしに、宗総馬尉逃ければ、
百姓等は、男をば或いは殺し或いは生取にし、女をば或いは取り集めて手を通して船に結い付け、
或いは生け取りにす。一人も助かる者なし」(一谷入道御書)
現代語訳
最初に襲われた対馬では、守護代の宗総馬尉が逃げてしまったので、残った島民たちの男は殺され生け取りにされ、
女は手に縄を通されて舷に並べ吊るされ、あるいは生け取りにされた。一人も助かった人は居なかった。
273 名前:名無しさん@涙目です。(東京都)[sage] 投稿日:2011/08/14(日) 00:37:19.98 ID:0ymGNRqG0
弓は日本の方が長さが出せたらしいね。
だから上陸しようとする元軍は、プライベートライアン状態で
七面鳥射ちにされた。
285 名前:名無しさん@涙目です。(四国地方)[] 投稿日:2011/08/14(日) 00:57:34.49 ID:yIytRKwA0
上陸したくても防塁&長弓でできなかったんだろうな
で船でにらみ合いしてたら台風に飲まれたと
296 名前:名無しさん@涙目です。(関東)[] 投稿日:2011/08/14(日) 01:07:41.53 ID:q/lfa1TYO
>>285
上陸してる
一度目は約2万で上陸するも、5千の日本側に巧く守られて橋頭堡を築けず、援軍が来る前に撤退
二度目は10万の中国部隊と3万の朝鮮部隊が、対馬で合流して攻撃する手筈だったが
無線も無い時代で中国部隊が遅参、朝鮮部隊が待ち切れず攻撃して同じ失敗を繰り返す
朝鮮部隊がボロボロになって船に引き上げた後で中国部隊到着、そこで追撃食らって大混乱更に台風
結局大部分の兵士を小島に取り残してお偉いさんだけ撤退
睨み合いは後続を待ってた時期の話だな
424 名前:名無しさん@涙目です。(チベット自治区)[] 投稿日:2011/08/14(日) 04:24:12.73 ID:SLsEEKdX0
これおもしろい
2度目で何故防塁を築いたのか
1度目の大苦戦の結果だという
https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/bitstream/2324/17117/13/p1-36.pdf
※PDFファイル
32 名前:名無しさん@涙目です。(東京都)[] 投稿日:2011/08/13(土) 18:31:50.01 ID:df8MOvsc0
敵の貴族王族を縛り上げる
その「上に」板を敷いて祝勝の大宴会
どうやったらこんなこと考え付くんだよモンゴリアンは こえーよ
46 名前:名無しさん@涙目です。(広島県)[] 投稿日:2011/08/13(土) 18:42:51.04 ID:/LwXjdtf0
>>32
アラブもやっている。
それをやった連中の子孫のアッバース朝のカリフは、モンゴルに降伏した後、
袋詰めにされて馬の群れにひき殺されるという目に遭っているが。
ただし、モンゴルとしては貴人に敬意を表した刑だったらしい。
313 名前:名無しさん@涙目です。(三重県)[] 投稿日:2011/08/14(日) 01:33:14.35 ID:MSkR9fi20
>>46
モンゴルでは血は大地に流さないように処刑するのが貴人に対する礼儀。
60 名前:名無しさん@涙目です。(中部地方)[sage] 投稿日:2011/08/13(土) 19:02:46.35 ID:t/WGMNWv0
騎馬以外にも諜報がすごい
63 名前:名無しさん@涙目です。(広島県)[] 投稿日:2011/08/13(土) 19:11:09.95 ID:/LwXjdtf0
>>60
チェコやドイツにまでスパイを派遣している他、神聖ローマ皇帝からイング
ランド国王にもスパイに注意する様に書簡が送られている。
両シチリア王国やフランスも怪しい。
日本でも、元寇前に高麗人商人が朝廷の女官相手に商売していたという。
進軍速度が通常なら人馬ともに一日30kmの時代に、騎馬のみで70km
も移動して、早馬が来た直後に侵攻とかしていたせいもあるが。
備える暇がありゃしない。ハンガリーやルーマニアは終盤もう慣れていたが。
147 名前:名無しさん@涙目です。(関東)[sage] 投稿日:2011/08/13(土) 21:58:54.35 ID:HVqt/nyPO
モンゴル人は攻城戦も強い
というよりむしろ野戦より包囲戦を好んだらしい
モンゴル人の本当の強さは騎馬や肉体的な強壮にあるのではなく
人間を家畜として扱う上手さにあるのだ
66 名前:名無しさん@涙目です。(北海道)[] 投稿日:2011/08/13(土) 19:24:02.04 ID:BluojivB0
アレクサンドロスの征服物語にはロマンがあるけど
チンギスハーンは蛮族が都市文明を破壊しただけって感じ
http://ja.wikipedia.org/wiki/アレクサンドロス3世
アレクサンドロス3世はアルゲアデス朝のマケドニア王、コリント同盟の盟主、エジプトのファラオを兼ねた人物である。
ハンニバル、カエサル、ナポレオン、といった古今東西、後世に名を残し、影響を与えた英雄たちから英雄視されている、英雄の中の英雄である。
72 名前:名無しさん@涙目です。[sage] 投稿日:2011/08/13(土) 19:29:12.24 ID:soH8i6uR0
>>66
モンゴルが東西の交易路を切り開いたから
現在の文明がある
157 名前:名無しさん@涙目です。(北海道)[] 投稿日:2011/08/13(土) 22:34:05.75 ID:v7kQ5urCO
モンゴルの侵攻から世界史が始まったと言っても過言ではない
176 名前:名無しさん@涙目です。(四国地方)[] 投稿日:2011/08/13(土) 22:59:27.01 ID:IUBvZjIB0
>>157
確かに
ユーラシアに国家が点在してたものを繋いだというか
戦争は人が死ぬ反面人と人を繋ぎ世界の認識を広める長所がある
69 名前:名無しさん@涙目です。(愛知県)[] 投稿日:2011/08/13(土) 19:25:16.43 ID:Wbrl6uve0
対モンゴル優秀賞(4位と5位は入れ替わってもいいかもしれん)
1.マムルーク朝・・・モンゴル一級の将軍の軍とガチでぶつかって勝利、その後も撃退し続けた
2.陳朝・・・モンゴルの服属要求を退け、大軍で侵攻されるがゲリラ戦などを駆使して壊滅させ、その後も侵攻を防ぐ
3.インド奴隷王朝・・・侵入してくるモンゴル軍を退け続け、遂にインドの地にモンゴルを入らせなかった
4.マジャパヒト王国・・・国の勢力争いに元軍を引きずり込んで利用した挙句、追い出して新国家樹立
5.日本・・・モンゴル兵士主体の軍ではないが、十万以上の大軍を様々な戦術で二度にわたって防いだ
対モンゴル奮戦賞
1.孟キョウ(南宋)・・・モンゴル進入で滅亡寸前の祖国からモンゴルを撃退し、崩壊した軍を建て直し、砦と防衛システム確立
南宋の寿命を40年延ばした(中国史上最強クラスの将軍だと思う)
http://ja.wikipedia.org/wiki/孟キョウ
2.完顔陳和尚(金)・・・モンゴルから逃げてきた亡命者を編成して20倍の敵を破るなどモンゴルを幾度も打ち破り祖国を救ったが、
時味方せず金は滅亡、潔くモンゴル軍に投降し、自らの身分を明らかにして処刑される
http://ja.wikipedia.org/wiki/完顔陳和尚
3.ジャラールッディーン(ホラズム)・・・モンゴルにより一瞬で滅んだ祖国復興のため、モンゴルを互角に渡り合い奮闘しまくった
しかし部下や家臣の掌握が上手く出来ず、逃げる途中殺された
http://ja.wikipedia.org/wiki/ジャラールッディーン
・・・他豚飼いイヴァイロなど多数
390 名前:名無しさん@涙目です。(三重県)[sage] 投稿日:2011/08/14(日) 03:21:14.99 ID:cqO32xQ70
>>69
面白いな
この時代のこと書いてある本で、何か良いの教えてよ
もうちょっと詳しく知りたい
399 名前:名無しさん@涙目です。(チベット自治区)[] 投稿日:2011/08/14(日) 03:40:50.41 ID:duD0m7dn0
>>390
杉山正明著 モンゴル帝国の興亡 がモンゴル寄りにだいぶ偏っていていいと思う。
395 名前:名無しさん@涙目です。(愛知県)[] 投稿日:2011/08/14(日) 03:33:32.85 ID:skq6TfUI0
>>390
陳舜臣の「チンギス・ハーンの一族」
西側の記述が少ないが、モンゴル周辺の民族や主要人物の逸話など大体わかる
サイトならここあたり
http://members.jcom.home.ne.jp/taiki-kun/
真ん中あたりからモンゴルとそれをとりまく世界の勢力のやつやってる(但し途中で更新止まってる)
721 名前:名無しさん@涙目です。(チベット自治区)[] 投稿日:2011/08/14(日) 22:36:45.35 ID:bmvXN02V0
チンギスハーンはもとは純朴な青年だったが自分の妻が寝取られたことをきっかけに
狂ったように人妻を奪って犯すようになった
730 名前:名無しさん@涙目です。(千葉県)[] 投稿日:2011/08/14(日) 22:57:05.01 ID:LE298YxE0
>>721
ということは
寝取った男が後のモンゴル帝国成立の影の立役者か
チンギスが純朴なままだったら
あの熾烈な部族抗争は生き残れず
モンゴル帝国も成立せず世界史は大きく変わっていた
110 名前:名無しさん@涙目です。(岡山県)[] 投稿日:2011/08/13(土) 20:30:53.43 ID:1iDQLnIH0
チンギス=ハーンが晩年に将軍たちを集めて宴会をやった。
チンギス=ハーンは将軍たちにたずねた。
「人生最大の幸せは何か。」
将軍たちは「草原で家族に囲まれてのんびり遊牧をすることです。」と答える。
「それは違う。」チンギス=ハーンは言った。
「人生最大の幸福は、敵を思う存分撃破し、駿馬を奪い、
美しい妻や娘を我がものにし、その悲しむ顔を見ることだ。」
576 名前:名無しさん@涙目です。(大阪府)[] 投稿日:2011/08/14(日) 13:53:45.03 ID:4xAOTCri0
今世界中でチンギスハンの遺伝子もった子孫が百万単位でいるんだぜ
それだけ世界中の女に中出ししまくったってことだ
585 名前:名無しさん@涙目です。(チベット自治区)[sage] 投稿日:2011/08/14(日) 14:04:22.98 ID:g816z+kT0
>>576 チンギスハーン本人はともかく、モンゴル人兵士の遺伝子が広まったのは間違いないし、
有名なのは酒の飲めない遺伝子だよね
http://www.athome-academy.jp/archive/biology/0000000176_all.html
> D型はN型遺伝子の突然変異でアセトアルデヒドを分解する能力が低下したものなんです。
> ですから、そもそも当初人類にはN型しかなかった。そこに突然変異が起こり、D型ができた。
> おそらく2-3万年前にモンゴロイド人種の中で起こったことだと思います。そして、その人達が時代を経て増えていったのです。
> コーカソイド人種であるハンガリー人やインド人にも、若干ではありますがD型遺伝子を持った人がいるというのは、
> 歴史と照らし合せて考えると、かつてモンゴル帝国の支配がそこまで及んでいた証でもあるわけで、とても興味が湧いてきます
588 名前:名無しさん@涙目です。(東京都)[] 投稿日:2011/08/14(日) 14:12:36.63 ID:yAVT2i4r0
>>585
個人的な理解なんだが、モンゴル襲来のときのモンゴル軍は、男は殺し、女は犯してから殺し、
結局は皆殺しして無人にしていったから、あの時にモンゴル人の遺伝子がポーランドやハンガリーに残ったとは思えない。
仮に万が一生き残ってその時の子供を産み育てた女性がいたとしても、そんなのは数が少なすぎてもはや統計的に有意とは言えないと思う。
その後タタールのくびきという比較的平和な時代がロシアに訪れるんだが、
モンゴル人とルーシ人との混血児はこのタタールのくびき時代に増えたんじゃないかと思うけど
http://ja.wikipedia.org/wiki/タタールのくびき
キプチャク・ハン国は、ルーシに対しては間接統治をもって望み、決まった税金をサライに納めることや戦時に従軍することを義務付けたのみであった。
しかし、諸公の任免の最高決定権はハンの手に握られていたから、主に領土の相続を巡って相互に敵対する諸公たちは頻繁に税金を携えてサライに赴いたり、
敵対する諸公との争いで不利な裁定をされたりしないように宮廷や実力者への付け届けを余儀なくされた。納税や従軍の義務を怠れば懲罰として大軍の侵攻を受け、
たちまち権力を喪失する運命であった。キプチャク・ハン国のルーシ支配は、このような状況を指して「タタールのくびき(タタールの軛)」と言われる。
112 名前:名無しさん@涙目です。(関西・北陸)[] 投稿日:2011/08/13(土) 20:32:12.16 ID:u6Wmfxk/O
逆に何でモンゴル軍が弱体化したんだ?
近代兵器が出てきたから?
120 名前:名無しさん@涙目です。(四国地方)[] 投稿日:2011/08/13(土) 20:38:22.21 ID:IUBvZjIB0
>>112
世継ぎ問題だろうな
過去の中華帝国と同じで、カリスマが消えると内乱が始まる
133 名前:名無しさん@涙目です。(広島県)[] 投稿日:2011/08/13(土) 20:54:03.49 ID:/LwXjdtf0
>>112
16世紀に銃+障害物が実用化されて劣勢に立ち出す。
171 名前:名無しさん@涙目です。(東京都)[] 投稿日:2011/08/13(土) 22:54:22.57 ID:QVhX9azM0
キエフやバグダードのモンゴル人の虐殺、レ◆プ、略奪、破壊、放火って凄まじかったんだろ
船に乗ったモンゴル人と戦うだけで良かった
日本が大陸と陸続きなら馬に乗ったモンゴル人たちに京都や鎌倉蹂躙されてたな
俺たちも一重まぶたでほほ骨出てる顔になってたな
177 名前:名無しさん@涙目です。(東京都)[sage] 投稿日:2011/08/13(土) 22:59:27.42 ID:y0qAm9Qq0
>>171
キエフはいちおう街は残った
珍しくモンゴルが交渉した
キエフの都市が堅牢で衛星国やポーランドとかの友好国が残ってたので
バグダードや旧サマルガンドのように地球から消えて
砂とガレキだけが残る廃墟になることはなかった
そのかわりキエフは従属して「タタールのくびき」になった
172 名前:名無しさん@涙目です。(長屋)[] 投稿日:2011/08/13(土) 22:55:02.40 ID:k02H21lZ0
ってかモンゴルの主力も歩兵だろ?
騎馬の割合が多民族に比して多いってだけで。
主力が全部騎馬とかはそんなに兵站が持つわけない
210 名前:名無しさん@涙目です。(東京都)[sage] 投稿日:2011/08/13(土) 23:19:57.62 ID:y0qAm9Qq0
>>172
正解
モンゴルの歩兵は異民族
元寇が参考になる
屈服させた異民族を歩兵として特攻させて
後方にモンゴル人騎兵が控え、異民族が逃亡しようとしたら
まとめて弓矢を浴びせる
これが基本戦術
143 名前:名無しさん@涙目です。(神奈川県)[] 投稿日:2011/08/13(土) 21:50:23.26 ID:W4lQdbl10
生きて虜囚の辱めを受けずって日本軍の方針は
アジアの敵に生きて捕まったら死ぬより酷い目にあうからって経験から生まれた戦訓なんだよな
ヨーロッパはなんだかんだでフェアプレー過ぎ
148 名前:名無しさん@涙目です。(東京都)[sage] 投稿日:2011/08/13(土) 22:09:47.39 ID:9NkGBaoS0
>>143
ヨーロッパは身代金をとれるから捕虜を大事にしただけ。
つまり国境を越えて金銀を交換する経済が成立していた。
アジアはそういう等価交換的経済観念がなかったから。朝貢すれば逆にたくさんものをくれる地域だから。
190 名前:名無しさん@涙目です。(catv?)[] 投稿日:2011/08/13(土) 23:08:46.03 ID:A23JEOcZ0
モンゴル軍が強かったのは言うまでもないけど、それは置いといて
ポーランドってたいていヤラレ役なイメージあるんだが
ロシアやドイツに挟まれて不遇とも言えるし
5 名前:名無しさん@涙目です。(チベット自治区)[] 投稿日:2011/08/13(土) 18:10:49.31 ID:fbRGzbXk0
ポーランドって歴史上一度でも戦争勝ったことあんの?
95 名前:名無しさん@涙目です。(福岡県)[sage] 投稿日:2011/08/13(土) 20:00:10.61 ID:ltSZmz8r0
>>5
全盛期はむちゃくちゃつええぞポーランド。
グスタフ・アドルフに勝利した。
387 名前:名無しさん@涙目です。(京都府)[] 投稿日:2011/08/14(日) 03:18:54.34 ID:pAjMTyTy0
>>5
無知すぎだろ
ポーランド騎兵はヨーロッパ最強
一時期はむちゃくちゃ強かったんだぞ?
http://www.youtube.com/watch?v=w7bXsUyGWhw
237 名前:名無しさん@涙目です。(秋田県)[] 投稿日:2011/08/13(土) 23:54:46.91 ID:Gb/8qZFB0
ヴァイキング
プロイセン→ ┌―――――┐←フン族
ナチスドイツ→| |←モンゴル帝国
| ポーランド. | ←ロシア
| |←スラヴ
ローマ→ └―――――┘←ソビエト
火薬庫
呪われてんじゃねーの
528 名前:名無しさん@涙目です。(東京都)[] 投稿日:2011/08/14(日) 12:14:40.67 ID:yAVT2i4r0
>>237
だがポーランド・リトアニア共和国が滅亡したのはむしろ内政的自滅
1.モスクワ反乱はカトリック右翼のポーランド王がリベラルなポーランド国会の意に反して独りで勝手な行動をしたから
2.コサック反乱はトルコに気を使いすぎて自国のコサックたちの生活や福祉を軽視したから
3.グスタフ・アドルフのスウェーデンによるポーランド侵攻はポーランドの大貴族のグループが自国へ引き入れたから
4.その後は国会で「自由拒否権」が濫用され、周囲の絶対主義国家群に対応するための国政改革(とくに軍事予算)が遅れたから
こんなふうに
830 名前:名無しさん@涙目です。(東京都)[sage] 投稿日:2011/08/15(月) 07:12:18.69 ID:ktsRP6Yy0
なんか日本が大陸と切り離されている事が幸運だったというような論調が多いが
逆に大陸と地続きだったらどうなってたのかなと思うわ
日本の大陸進出とか、朝鮮半島からの撤退の歴史考えると
大陸と地続きで、めいっぱい進出したらどこまで行けたのかなとマジで思う
850 名前:名無しさん@涙目です。[sage] 投稿日:2011/08/15(月) 09:59:10.25 ID:cHnSggeC0
>>830
プロ騎兵にやられてあぼーんだ
定期的にインフラを破壊されるわけだから発展しない
海運が陸続きの部分で損なわれるので経済も発展しない
860 名前:名無しさん@涙目です。(東京都)[sage] 投稿日:2011/08/15(月) 10:12:11.18 ID:f67Phxra0
プロ騎兵か。。。
秀吉が大成功してモンゴルよろしくヨーロッパに到達しても、
同時代ならそこには名将ヤン・ザモイスキ率いる世界最強のポーランド重騎兵軍団が待ち構えていて
あの時代のテクノロジーでもってウクライナの大平原でウイングド・ハサーに勝つのはちょっと難しすぎるね
もし秀吉没後の時代にヨーロッパに到達したとしてもそこにいるのは今度はジュウキェフスキ、コニェツポルスキだからな
歴軍ヲタから見たらあっちは稀代の名将3連続のすごい時代
http://ja.wikipedia.org/wiki/ポーランド騎兵 当時リトアニア大公国と同君連合を組んでいたポーランド王国では、それまでの中世式の軽装備の槍騎兵に代わって、シュラフタからなる重装備のユサール騎兵を編成した。 |
239 名前:名無しさん@涙目です。(東京都)[sage] 投稿日:2011/08/13(土) 23:56:41.54 ID:5+pBNfw/P
イスラムって元とか十字軍とか侵攻を受けまくりだな
結構防いでるのはすごいけど
逆にイスラムから侵略ってないの
243 名前:名無しさん@涙目です。(不明なsoftbank)[] 投稿日:2011/08/13(土) 23:59:31.55 ID:aoFfA62a0
>>239
トゥール・ポワティエ間の戦いがあるじゃない
そこで負けたけどあそこまで攻め上がったのはすごいんじゃない
http://ja.wikipedia.org/wiki/トゥール・ポワティエ間の戦い トゥール・ポワティエ間の戦いは、732年にフランス西部のトゥールとポワティエの間で、フランク王国とウマイヤ朝の間で起こった戦い。 |
245 名前:名無しさん@涙目です。(秋田県)[] 投稿日:2011/08/14(日) 00:00:22.61 ID:Gb/8qZFB0
>>239
ウマイヤがイベリア征服した
http://ja.wikipedia.org/wiki/ウマイヤ朝の侵攻と西ゴート王国の滅亡 711年、ターリク・イブン・ズィヤード率いる遠征軍がジブラルタル海峡を越えた。 同年7月19日、ターリクはグアダレテの戦いで西ゴート軍に壊滅的打撃を与え、国王のロドリーゴを戦死させた。 王が死んだ西ゴートには後継がおらず、その混乱に乗じてウマイヤ朝は支配領域を拡大していった。 710年代の終わりまでに、ムスリム勢力はイベリア半島を北上し、カンタブリア山脈以北およびピレネー山脈以北までキリスト教勢力を追い詰めていった。 |
オスマンがアドリア海の対岸のとこまでヨーロッパ征服した
http://ja.wikipedia.org/wiki/オスマン帝国 オスマン帝国は、テュルク系の帝室オスマン家を皇帝とする多民族帝国で、現在のトルコの都市イスタンブルを首都とし、最大版図は、東西はアゼルバイジャンからモロッコに至り、 南北はイエメンからウクライナ、ハンガリー、チェコスロヴァキアに至る広大な領域に及んだ。 |
250 名前:名無しさん@涙目です。(岡山県)[] 投稿日:2011/08/14(日) 00:02:27.24 ID:JIQlBw6s0
>>239
メッカで誕生したイスラムは
アラビア半島を征服後、サーサーン朝ペルシャを滅ぼし
東ローマ帝国からシリア地方や北アフリカを奪い、
さらにはジブラルタル海峡を越えてヨーロッパに進出し
イベリア半島の西ゴート王国を滅ぼした。
327 名前:名無しさん@涙目です。(和歌山県)[] 投稿日:2011/08/14(日) 01:55:48.27 ID:WV5913tx0
当時の科学技術の最先進地域はイスラムだよ
モンゴル軍は、南宋の要塞都市を何年も攻略できなかったけど、征服地域のイスラムの技術者を派遣してもらって、たった三日で攻略した
モンゴル軍には中国人技術者がいたけど、イスラムの技術者にはかなわなかったんだね
イスラム技術者は現地を視察して天秤式の超巨大投石機をくみ上げて攻撃開始後3日で陥落させた
あと、イスラム天文学者が中国に来て、天文台を作り、中国人を教育して、最新の暦法が作られた
329 名前:名無しさん@涙目です。(新潟県)[] 投稿日:2011/08/14(日) 01:59:47.53 ID:NC3rE7dI0
>>327
モンゴルの占領地に海洋先進国が存在しなくてよかったな。日本としては
409 名前:名無しさん@涙目です。(千葉県)[] 投稿日:2011/08/14(日) 04:05:14.37 ID:LE298YxE0
ヨーロッパ3大危機一髪
1フン族のアッティラの侵攻
2イベリア半島からのイスラムの侵攻
3モンゴルの侵攻
イスラムは何とか勝利で撃退したが
アジア勢力の2つは総大将の急死で助かった
まさに風前の灯状態だった
ただ一応ヨーロッパだけど
僻地北欧のヴァイキングにかなり征服された時があるw
412 名前:名無しさん@涙目です。(三重県)[sage] 投稿日:2011/08/14(日) 04:09:56.68 ID:cqO32xQ70
>>409
現在も割りと危機だよねw
経済的にだけど。
リビアが長引きそうだし、今後どうなるかわからないよね。
535 名前:名無しさん@涙目です。(愛知県)[] 投稿日:2011/08/14(日) 12:22:50.97 ID:301mV1t20
中世ヨーロッパはほんと文明も暗黒期だし
戦争の仕方も外国にはるかに劣った戦術
そもそも仕組みすらないレベル
今のアフリカとアメリカが戦ったようなもん
それくらい差があった
536 名前:名無しさん@涙目です。(東京都)[] 投稿日:2011/08/14(日) 12:26:23.59 ID:yAVT2i4r0
>>535
暗黒時代というのはフランスとかドイツとか北イタリアとかいったフランク人の文化圏はな
ポーランドやリトアニア(ルテニア)やハンガリーは意外とオープンに発展している
「カリシュの法令」に見るように社会的にリベラルなところがあっておもしろい
一般の中世欧州史はこの地域の視点がスッポリ抜けてるんだな
http://ja.wikipedia.org/wiki/カリシュの法令 「ユダヤ人の自由に関する一般契約」は、一般的には「カリシュの法令」として知られるポーランドの法律。 これは1264年9月8日、カリシュにおいて大ポーランドのボレスワフ敬虔公によって発布された。 この法令はポーランドのユダヤ人の法的地位の根拠となり、これによって「国家内国家」とも言えるようなイディッシュ語話者による自治組織が創始された。 |
861 名前:名無しさん@涙目です。(東京都)[sage] 投稿日:2011/08/15(月) 10:14:16.83 ID:f67Phxra0
アメリカの有名な経済学者のポール・クルーグマンは、
今のアメリカは衰退期に入ってすぐの時代のポーランド=リトアニア共和国に似ていると言ってるね
537 名前:名無しさん@涙目です。(新潟・東北)[sage] 投稿日:2011/08/14(日) 12:28:48.86 ID:3conDnYfO
戦争なんかねえだろって思ってる時に既存の概念を超えた攻撃方法であっという間に制圧される、
ってのを世界は繰り返す、でオk?
そして現代、未来も‥
虐殺の世界史
世界史の謎がおもしろいほどわかる本
モンゴルが世界史を覆す
関連記事
戦 争 に ま つ わ る 凄 い 話
戦国の合戦について詳しい人きて
劉備無能すぎワロタwwwwwwwwwwwww
すげえ戦術とか計略教えてくれ
人類史上最悪の人間は誰?
アメリカの軍事研究家が選んだ世界の名将トップ100
もし織田信長が明智光秀に切り殺されなかったら、日本の歴史はどうなってたの?
古代エジプトの知識晒してよ
戦争で音楽を使った作戦てある?
中世の歩兵ってどんだけ辛かったんだろうな
日本史史上最高の戦術家って誰?
【閲覧注意】昔の処刑方法怖過ぎワロタwwwwwwwwwww
|