1 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/04(土) 02:42:07.92 ID:V9Z9NUuE0
太平記読むと元気が出てくる
5 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/04(土) 02:44:29.72 ID:9EaA2/pw0
勢力図が複雑すぎるのと、同じ名字の人が多いのとで
歴史初心者には全く向かないジャンル
17 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/04(土) 03:02:22.09 ID:NgsmJYOt0
各地の勢力が動きまくって楽しい
49 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/04(土) 03:44:20.74 ID:3FMRZTUuO
鎌倉後期には元寇とか霜月騒動とかいろいろゴタゴタしてたけど
それでも滅亡する10年前くらいには、まだ誰もこの幕府が滅亡するだなんて思ってなかったんだよな
9 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/04(土) 02:47:24.69 ID:bYOk3s5UO
尊氏が強すぎておもんない
http://ja.wikipedia.org/wiki/足利尊氏
足利 尊氏は、鎌倉時代後期から南北朝時代の武将。室町幕府の初代征夷大将軍。
天皇に叛旗を翻したことから皇国史観のもとで「逆賊」と位置づけられていた時代もあった一方、
戦後は一転して肯定的に再評価されているように、歴史観の変遷によってその人物像が大きく変化している。
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10 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/04(土) 02:47:32.20 ID:qla4CmCl0
幕末で慶喜の弱腰っぷりを見たあとだと
尊氏がかっこよすぎる
91 : キャベツ(岐阜県) : 2010/12/21(火) 21:02:25.61 ID:vQq0m7te0
成り立ちのあたりはすげー面白いよ
尊氏が反乱してから幕府開くあたり
94 : 福袋(福井県) : 2010/12/21(火) 21:03:32.58 ID:QABVqq1s0
>>91
クライマックスは兄妹喧嘩でしょう
98 : ビタミンC(沖縄県) : 2010/12/21(火) 21:04:58.14 ID:17pWgc8A0
>>91
高兄弟のフリーダムさとか
言うこと聞かない家臣を懲罰しようとしたら
南朝に帰順されまくったりとか
面白いのは幕府開いてからだろ
http://ja.wikipedia.org/wiki/高師直
高 師直は、鎌倉時代後期から南北朝時代の武将。足利尊氏時代に執事をつとめた。
南北朝の動乱では、延元3年/建武5年に和泉堺浦で北畠顕家を、正平3年/貞和4年の四條畷の戦いでは楠木正行・正時兄弟らを討ち、
さらには吉野山へ攻め入って南朝方を賀名生へ撤退させるなど、主に軍事面で活躍した。
99 : 聖歌隊(catv?) : 2010/12/21(火) 21:04:59.79 ID:VD1dOSD00
>>91
鎌倉幕府を倒す時に独力じゃなくて
源氏のみんなの力を借りたせいで
室町幕府の成り立ちがおかしくなった
18 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/04(土) 03:03:49.54 ID:u6/y5kFW0
戦時中の日本史教科書だと尊氏は大謀反人として描かれてるんだよね
20 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/04(土) 03:05:40.41 ID:9EaA2/pw0
>>18
戦時中というか、江戸時代の後期から尊王攘夷とか皇国史観なんつーものがあって
楠木正成や新田を持ち上げて尊氏を貶す見方があった。
93 : マーガレットコスモス(dion軍) : 2010/12/21(火) 21:03:05.17 ID:3e/+EaN80
足利尊氏ってある意味魔法使いみたいなやつなんだよな
戦に負けたのに、腹を切らされるのは勝った方・・・
カオス杉
6 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/04(土) 02:46:10.09 ID:V9Z9NUuE0
なるほど色々な意見があるね
新田義貞の評価ってどうなの?
http://ja.wikipedia.org/wiki/新田義貞
新田 義貞は、鎌倉時代末から南北朝時代にかけて活躍した御家人・武将。
1333年に足利尊氏の京都六波羅攻略に呼応して挙兵。小手指原の戦い、分倍河原の戦いで北条方を撃破して鎌倉へ攻め込み、激戦の末に攻略。
これにより北条高時以下は自害し、鎌倉幕府は滅亡する。
8 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/04(土) 02:47:11.74 ID:3c0NwW6/O
義貞は尊氏の対抗馬にはスケールが小さい
11 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/04(土) 02:48:59.21 ID:9EaA2/pw0
義貞は戦術家としては稀代の人物だが、戦略家としては微妙って印象があるな
その辺が尊氏との差というべきか
173 : ボジョレー(千葉県) : 2010/12/21(火) 21:29:33.04 ID:B7+/D1s40
新田が勝っても新田幕府とか興さなかったんだろうな
186 : タラバ蟹(岡山県) : 2010/12/21(火) 21:32:59.83 ID:dCWNp6/+0
>>173
官位もらって超大喜びで満足する
中間管理職タイプだからなw
13 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/04(土) 02:52:54.58 ID:3c0NwW6/O
義貞は侍としては超一流
しかし北条氏の婚戚である足利尊氏とは家の格が違った
14 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/04(土) 02:57:25.12 ID:V9Z9NUuE0
やっぱ家柄って大事だよね
個人的には尊氏はブレまくりで嫌いなんだが
16 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/04(土) 03:00:51.57 ID:9EaA2/pw0
>>14
なるほどブレまくりかwww
成功者のそれは臨機応変と呼ばれるんだがなwwww
26 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/04(土) 03:07:43.13 ID:3c0NwW6/O
足利氏は鎌倉幕府でも北条の次くらいに有力な家系。
その尊氏が寝返ったから一気に倒幕できた。
滅んだのはほとんど北条氏のみで、後醍醐が頼りないので旧幕府勢力は尊氏についた。それを抱えたまま新しいことをやろうとするからぶれる。
まあ本人の性格もあるけど。
19 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/04(土) 03:04:48.96 ID:kojZsxRt0
その頃の武士ってアホで侍とは言えんよね
元々野党崩れを支配階級にした源が悪い
平家マジ高貴源氏滅ぶべきだった
22 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/04(土) 03:06:06.53 ID:dmx8WCTO0
>>19
侍かそうでないかを決定するのは賢さじゃないんで
何勝手な定義作ってんだよ
24 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/04(土) 03:07:23.37 ID:kojZsxRt0
>>22
源氏と南北朝あたりの武士は野党崩れじゃん
まじ支配階級としての品格足りない
30 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/04(土) 03:14:12.66 ID:3c0NwW6/O
清和源氏が村上源氏などと違って若干ヤクザっぽかったの本当。
でも頼朝はそのあたり自覚してる。母方が京都につながる尊氏も同じ。
北条氏ですら宮将軍を傀儡にして武家政治はちゃんとやってる。
35 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/04(土) 03:22:35.61 ID:3c0NwW6/O
頼朝は半分京武者みたいなもので品格はある。子供時代は京都で育った。
頼の字は藤原信頼からもらったという説もある。天台座主の慈円と和歌を贈答するくらいの教養人。
野党みたいなのは義仲。
40 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/04(土) 03:30:55.30 ID:RaeCd2P90
高氏>楠木>北畠>名和>>>>大塔の宮>新田>師直>直義
141 : 乾燥肌(東京都) : 2010/12/21(火) 21:17:23.96 ID:P6/mZVGm0
スパルタは300人でペルシャ100万に負けたけど
楠木正成は同程度の兵力で鎌倉100万に勝った!!歴史上これほどの兵力差を逆転した戦いは中国にすらない
http://ja.wikipedia.org/wiki/楠木正成
楠木 正成は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将。
建武の新政の立役者として足利尊氏らと共に活躍。尊氏の反抗後は南朝側の軍の一翼を担い、湊川の戦いで尊氏の軍に破れて自害した。
鎌倉幕府からは悪党と呼ばれた。明治以降は「大楠公(だいなんこう)」と称され、明治13年(1880年)には正一位を追贈された。
42 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/04(土) 03:31:32.31 ID:5kyAj55vO
千早赤坂だけど楠公は英雄だよ。
足利尊氏は実力者で南朝北朝の抗争も上手く立ち回った偉人だとは思うけど
やはり朝廷に手を上げたのだけはいけない。
しかし朝廷側も政治的に防衛できる力が無かったのは
楠公の末路が示しているのだろうけど。
46 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/04(土) 03:36:16.09 ID:RaeCd2P90
>>42
足利尊氏は今という時代から俯瞰すれば尊氏も逆賊扱いできるけど、当時としては天皇という倫理と武士の実利をバランスよく取っていたと思う
ちゃんと綸旨ももらってるし
むしろ弟と高師直がタカ派すぎて苦労してそう
俺も楠木のほうが好きなんだけどね
55 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/04(土) 03:49:44.75 ID:5kyAj55vO
>>46
河内も楠公が戦わなかったら、全て尊氏側に流れて終わりだったろう。
尊氏の気持ちになれば不安もあったろうが、
豪族も天皇の顔みながらも先がありそうな方に付きたかったと思う。
58 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/04(土) 03:55:06.60 ID:RaeCd2P90
>>55
お家大事で強いほうになびくのは当然のことだよな
でもそれをいうなら正成だけでなく一族をなげうって船上山挙兵に踏み切った名和長年も評価してあげてほしい
あとは千種あたりも頑張ってる
北畠は評価されすぎていてずるいくらい
199 : 冬休み(福岡県) : 2010/12/21(火) 21:35:55.14 ID:ChAM66td0
義満ってなんで教科書だと坊主なん
http://ja.wikipedia.org/wiki/足利義満
足利 義満は室町時代前期の室町幕府第3代将軍(在職1368年 - 1394年)である。
南北朝の合一を果たし、有力守護大名の勢力を押さえて幕府権力を確立させ、鹿苑寺(金閣)を建立して北山文化を開花させるなど室町時代の政治、経済、文化の最盛期を築いた。
207 : 聖歌隊(catv?) : 2010/12/21(火) 21:37:41.20 ID:VD1dOSD00
>>199
実際に金閣寺(お寺)を作って住んでました
午前中はお坊さん、午後は将軍様というライフスタイル
15 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/04(土) 02:58:34.37 ID:9PHnm1vM0
北山・東山文化辺りで日本を代表する文化の殆どが大成されているっつうのを考えると感慨深いものがある
334 : ざざ虫踏み(関西・北陸) : 2010/12/22(水) 03:31:28.06 ID:Vvvy71r6O
足利義教はマジで面白いのに色々勿体ない
http://ja.wikipedia.org/wiki/足利義教
足利 義教は、室町時代中期の室町幕府第6代将軍。
有力守護大名の相続問題への介入や、旧南朝勢力・鎌倉公方らの抵抗勢力を討つなど、専制化を推し進めるが、招かれた先の赤松満祐?の屋敷にて酒宴の最中に暗殺された。
348 : 塩引鮭(愛知県) : 2010/12/22(水) 04:53:14.40 ID:UFzo2zHW0
義教あたりカオスで面白いだろ
315 : 加湿器(関東・甲信越) : 2010/12/21(火) 23:14:11.98 ID:U85951FVO
たいへん徳が高い僧侶でくじ引き将軍義教さんは
熱湯風呂裁判で火傷した方が負けと言う
素晴らしい方法で反対者を排除し独裁した。
さらに比叡山に放火魔を派遣すると脅迫し比叡山始まって以来の初の運動会で切腹大会をさせた。
富士山観光ついでに関東壊滅ゲットー作戦を二度も執行した。
鳥のかわいい雛を見たくて我慢できずに謀反者の邸に行くなとのみんなの制止を押し切り出かけて言って暗殺される。
義教の革命的なやり方を信長がまるまるパクって見事に暗殺される。
320 : 運動不足(愛媛県) : 2010/12/22(水) 00:03:00.01 ID:Y6k9ssyT0
>>315
初代第六天魔王義教さんパネェっす
316 : ホットミルク(東京都) : 2010/12/21(火) 23:49:38.88 ID:xJ2KQkVE0
くじ引き将軍とか
日本史をなめてるとしか思えない
45 : 味噌スープ(高知県) : 2010/12/21(火) 20:20:41.82 ID:1S3uLTlKP
室町幕府自体の権力が弱くて南北朝問題もあるから、ぶっちゃけ日本の主流ってどこなのかさえ断定しきれないカオスな時代
タブーな要素が多くて研究も進まない
日本史の教科書で一番書くのが難しい時代だろうな
51 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/04(土) 03:47:41.87 ID:bQV1a0g80
南北朝が面白いというのはよくわかるが幕末が面白いという奴は何に惹かれたのかわけわからん
54 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/04(土) 03:49:41.88 ID:kojZsxRt0
幕末って全然魅力感じないわ
個人的に安土桃山後期がいい
経済や文化面白いよ
57 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/04(土) 03:53:39.79 ID:+sr/Jl44O
南北時代のカオスっぷりは面白いけど
どや顔で戦国時代より面白いっていうやつ多過ぎ
規模はともかく質量ともに戦国だろ
65 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/04(土) 04:16:04.49 ID:YqYa4aSC0
未だに少し分からないのが
北朝も南朝も元をたどれば紛れもない天皇家
しかも、天皇家の血筋引いたどこぞの馬の骨じゃなくて
二派で天皇位を争ってた一派を北朝に祭り上げたんだろ?
どうして南朝正統論が出てきて、しかもそれが現天皇家の存在を脅かすことになるのか
だれか説明してくれ
http://ja.wikipedia.org/wiki/南北朝正閏論
南北朝正閏論とは、日本の南北朝時代において南北のどちらを正統とするかの論争。
近世以来、南北朝のいずれが正統かをめぐって南北朝正閏論が行われてきた。
論者の主張は大きく南朝正統論、北朝正統論、両統対立論、両統並立論に分けられる。
67 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/04(土) 04:25:24.28 ID:3c0NwW6/O
>>65
俺もいまいち良くわからないけど、要点は「足利尊氏は天皇に反逆した」という所。
反逆者尊氏を貶す内に後醍醐天皇や楠正成を持ち上げることになる。
儒教的論理観から江戸時代の学者にそう言われまくった。
69 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/04(土) 04:30:44.61 ID:YqYa4aSC0
>>67
悪者が持ち上げた君主はやっぱり悪者だ、って感じなのかな
しかし儒教的に考えるなら、長男(嫡子)が正統のはずだから
持明院統の北朝がやっぱり正統なはず
日本的儒教観は、忠義にウェイトがおかれていたのか?
74 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/04(土) 04:36:44.98 ID:3c0NwW6/O
>>69
そうだね。
正確には北朝の天皇は「正統ではないが偽物ではない」という扱いだった。
「南朝が正統」という主張が眼目。
北朝の悪口は絶対言わない。あくまで尊氏の悪口を言い、南朝の忠臣を持ち上げるのがポイント。
日本史三大悪人は蘇我馬子と北条義時と足利尊氏だった。
71 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/04(土) 04:34:12.48 ID:5kyAj55vO
>>69
長男とか継承問題をややこしくしないための配慮であって
たとえ暴君であってあって主君に刃向かうのは儒教倫理としては許されない。
臣下は命がけでも諫めないダメって理屈になってる
81 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/04(土) 04:48:37.82 ID:3c0NwW6/O
さすがに実際の天皇家が北朝なのに悪口言えないでしょww
それに北朝の天皇家は完全に室町幕府のお飾りで責めるような面もない。
お飾り過ぎてうつで自殺騒動起こした天皇だっているんだぜ。
59 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/04(土) 03:55:15.86 ID:pqdCsE850
まじ室町鎌倉つぶれろ
マイナーなくせに法令出しまくってんじゃねーぞ受験生殺す気か
いちいち役所の名前変えんじゃねえ!
検非違使庁吸収すんな六波羅探題設置すんなもはや鎮西探題とかなんだよ
何が金塊和歌集だふざけんなつくんな
北条も多すぎるんだよ序盤で断絶しろ
61 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/04(土) 03:58:44.38 ID:RaeCd2P90
>>59
受験だと興亡以外では日野富子とか関銭津料とか北山東山くらいしか出ないんじゃね?
他に何かやってたっけ?
62 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/04(土) 04:00:23.17 ID:pqdCsE850
>>61
下地中分とか地頭と守護とかもう原辰ぐらいでます
63 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/04(土) 04:01:15.30 ID:9EaA2/pw0
>>62
なんだその巨人ファン臭漂う変換は・・・www
113 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/04(土) 06:23:26.50 ID:YqYa4aSC0
すごくどうでもいいけど
佐々木道誉が天寿を全うしたのがちょっと不思議
http://ja.wikipedia.org/wiki/佐々木道誉
鎌倉幕府創設の功臣で近江を本拠地とする佐々木氏一族の京極氏に生まれ、執権北条高時に御相供衆として仕える。
ばさらと呼ばれる南北朝時代の美意識を持つ婆沙羅大名として知られ、『太平記』には、謀を廻らし権威を嘲笑し粋に振舞う導誉の逸話を多く記している。
史実ではなく物語として見た場合
絶対に非業の最期を遂げて盛り上げてくれそうなのに(笑)
114 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/04(土) 06:26:16.71 ID:3c0NwW6/O
>>113
現実はああいうやつほど長生きする。近江佐々木氏はお上から叱られるのになれてるからなあ。
同じバサラで土岐さんはあぼ~んなのに。
112 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/04(土) 06:22:27.19 ID:3c0NwW6/O
足利直冬はどう?
http://ja.wikipedia.org/wiki/足利直冬
足利 直冬は、南北朝時代の武将
実父である足利尊氏に認知されず、幼少時は相模国鎌倉の東勝寺において喝食となる。
興国6年/貞和元年(1345年)頃に還俗して上洛、京都で玄恵法印に紹介され叔父の足利直義の養子となり、
時期不明だが直義に一字を与えられて直冬と名乗る。その後も数年は父の尊氏との対面は許されずに認知されていなかったと言われる。
正平3年/貞和4年(1348年)に初陣を行い、紀伊など各地で南朝勢力と戦い戦功をあげて帰還する。
115 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/04(土) 06:33:06.44 ID:YqYa4aSC0
>>112
足利直冬もよくよく考えたらロマンがあるよなー
実父尊氏と養父直義の関係への葛藤とか
どういう気持ちで尊氏を打ち破って京都を制圧したのかとか
兄弟の義詮との関係とか
南北朝中期を引っ掻き回すだけ引っ掻き回して
いつの間にかフェードアウトしていたから、あんまり意識していなかったけど
116 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/04(土) 06:37:07.76 ID:YqYa4aSC0
というより、よくよく考えたら
尊氏一体何回都落ちすれば気が済むんだよw
そして都落ちしたと思ったらすぐに勢力を回復しすぎだww
尊氏が強すぎる、ってレスがあったけど
尊氏は逆境に強すぎる、に変えたほうがいいと思う
121 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/04(土) 08:27:50.53 ID:mONYPFSrO
>>116
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