http://ja.wikipedia.org/wiki/呂布
呂 布は中国後漢末期の武将・群雄。
戦乱の後漢末期にあって群を抜く武勇を誇った。
『三国志演義』等、三国志関係の物語等では最強の武将として描かれる。
1 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/09/27(火) 01:24:47.85 ID:hD1cSfgK0
呂布の凄さとか知りたい
2 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/09/27(火) 01:25:51.08 ID:8w2UZboa0
呂布
百歩離れたところから戟を矢で当てた
64 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2011/09/27(火) 02:03:24.66 ID:/KjL7wzz0
呂布
愛馬にまたがり数十人の部下と共に黒山賊十万の立て篭もる要塞に突撃
一度突撃してはその数十人が各々、敵の首を二つ三つ、多い者は十ばかり取って退却
日に何度か突撃を繰り返し、一週間
後漢も討伐できずに手を焼き官位まで与えて懐柔した黒山賊といえども
戦意を失い逃げ帰ることしかできなかった
66 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/09/27(火) 02:04:46.92 ID:Hp/wClKpi
>>64
すげえぇ
呂布って部下までそんなに強かったのか
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5 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/09/27(火) 01:27:11.09 ID:+zPQM9rj0
董卓
見た目はお前らみたい
でも酒池肉林 女とヤリまくり
勝ち組
http://ja.wikipedia.org/wiki/董卓
辺境の将軍の1人にすぎなかったが、軍事力を背景に次第に頭角を現すようになった。
霊帝死後の政治的混乱に乗じて政治の実権を握り、少帝を廃して献帝を擁立し、一時は宮廷で権勢をほしいままにしたが、
諸侯や他の朝臣らの反感を買い、最期は側近で養子の呂布に殺された。『三国志』魏志及び『後漢書』に伝がある。
14 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/09/27(火) 01:34:41.01 ID:OxhmUSVS0
>>5
董卓は弓の達人で西涼の奴だから馬にも乗れただろ
普通につよそーな豪族じゃね?
20 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/09/27(火) 01:37:13.96 ID:hD1cSfgK0
>>14
じゃあ、超絶ピザのイメージはゲームとかの勝手なもの?
30 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/09/27(火) 01:42:00.76 ID:OxhmUSVS0
>>20
あ、でも死んだ董卓のへそに蝋燭さしたら長いこと燃え続けたくらいに脂肪を蓄えてた
とかいう記述はあったらしいね
23 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/09/27(火) 01:40:03.84 ID:OxhmUSVS0
>>20
ほら中華の人じゃないから
これでもかってくら歴史の書物にゴミ扱いして載せられたんだろ、よくあることだ
あとは物語的にもちょうどいい悪役だし、悪役になってもらってああなるわけだ
8 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/09/27(火) 01:29:12.99 ID:8WKLFdcp0
合肥の戦いとかすごかったじゃんよ
仲間同士いがみ合いながら10倍の敵を撃退とか胸熱
http://ja.wikipedia.org/wiki/合肥の戦い
合肥の戦いは、中国後漢末期に、曹操領の南方の要衝・合肥を巡って曹操と孫権の間で行われた戦い。
後に三国時代を通じてこの方面では攻防が続けられたがついにこの戦線の決着がつくことは無かった。
215年に起こった戦いが有名で、孫権が劉備に荊州の一部返還を求めた際、劉備側から条件として曹操を攻めるように依頼されたことから始まった。
孫権率いる大軍勢が張遼・楽進・李典を大将とする少数の曹操軍に大敗を喫したことで知られている。
10 名前: 忍法帖【Lv=30,xxxPT】 [] 投稿日:2011/09/27(火) 01:30:30.63 ID:GhiDv+Hwi
演義の方だと、沢山あるよな。
張飛は、単騎で曹操軍30万を退けたとか。
29 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/09/27(火) 01:41:38.78 ID:h3PArZ6m0
ディフェンスに定評のある文聘さん
主君が曹操に降伏した後も任地を守るために動かず職務を全うして曹操に賞賛され
曹操の配下になった後に就いた任地では曹丕が死んだ隙を突いて孫権が5万の兵で攻めてくるも
固く守りきり、ついでに撤退する敵を追撃 文聘さんが死ぬまでの数十年の間、彼の任地は誰も攻め落とすことはできなかった
http://ja.wikipedia.org/wiki/文 聘
文 聘は、後漢末期から三国時代の魏の武将。
孫盛は涙で誠実さを示したとして文聘を評価し、曹操が方面軍を任せた優れた人物として臧覇とともに名を挙げこれを称えている。
36 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/09/27(火) 01:44:29.20 ID:hD1cSfgK0
>>29
SUGEEEE
これ今んとこ1番素直に感心した
40 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/09/27(火) 01:47:44.28 ID:nif0jrw50
趙雲の「全身これ肝なり」とか?
44 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/09/27(火) 01:51:02.99 ID:Hp/wClKpi
>>40
何それkwsk
46 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/09/27(火) 01:52:00.52 ID:nif0jrw50
漢中攻略の際、曹操軍の兵糧集積場を叩くために出撃したものの、
苦戦を強いられ撤退できずにいた黄忠の軍を救い出し、
さらに撤退してきたあと、追撃してきた曹操軍に対して、陣門を開け放って
兵士たちに物音ひとつ立てさせない「静寂の陣」によって計略を疑わせ、撤退させてしまった
それを見るや、趙雲は猛烈な追激戦を開始して曹操軍を散々な目にあわせた
その翌日、戦場の慰撫に訪れた劉備がその話を聞きつけると、「子龍は全身これ肝だ」と感嘆したという
このことにより、趙雲は軍中において「虎威将軍」のあだ名で呼ばれるようになった
恋姫に関してはもしも中国に謝罪求められても仕方ないと思ってる
http://ja.wikipedia.org/wiki/趙雲
趙 雲は、中国、後漢末から三国時代の蜀(蜀漢)に仕えた軍人。
小説『三国志演義』において、趙雲は正史に比べて記述が多く、五虎大将軍の一人として、非常に勇猛かつ義に篤い、また冷静沈着な武芸の達人として描かれている。
52 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/09/27(火) 01:55:43.77 ID:Hp/wClKpi
>>46
かっけえええぇぇ
趙雲はどの作品でもかっこいいよなー
228 名前:名無しさん@涙目です。(三重県)[] 投稿日:2011/10/02(日) 13:40:16.42 ID:S8eTFJGj0
しかし関羽は何で神格化されるまでに至ったのか
日本や台湾ですら祀られてるとかなんなの
http://ja.wikipedia.org/wiki/関羽
関 羽は、中国後漢末期の武将。
三国時代の蜀(蜀漢)の創始者である劉備に仕えた武将。その人並み外れた武勇や義理を重んじる人物は敵の曹操や多くの同時代人から称賛された。
238 名前:名無しさん@涙目です。(神奈川県)[] 投稿日:2011/10/02(日) 13:41:19.05 ID:IIs99jPT0
>>228
髭かな。あれのおかげで相当キャラ立ってるし。
239 名前:名無しさん@涙目です。(埼玉県)[sage] 投稿日:2011/10/02(日) 13:41:39.44 ID:GO0yjUIi0
>>228
そろばん作ったから?
295 名前:名無しさん@涙目です。(dion軍)[] 投稿日:2011/10/02(日) 13:51:00.53 ID:3qBEVMVy0
>>228
首送られた魏がびびって国葬にしたり
後の京劇の題材になったから
山中鹿之助とか義経みたいなもんだ
283 名前:名無しさん@涙目です。(新潟県)[sage] 投稿日:2011/10/02(日) 13:48:45.78 ID:qYJVLR0n0
人って無いものを求めるよね。
中国人は関羽を神と崇めるのは
自分たちは信義が薄いってのが分かってるから。
家康好きなのも辛抱がないから。
逆に日本人は信長とか龍馬を好む
20 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/08/14(日) 14:56:43.67 ID:KB/fFGC+0
google先生で画像検索すると関羽涙目www
http://www.google.co.jp/search?hl==np&q=%E9%96%A2%E7%BE%BD&gs_sm=e&gs_upl=638l638l0l1748l1l1l0l0l0l0l
30 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2011/08/14(日) 15:00:27.56 ID:7vuftab70
>>20
oh・・・・
45 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/09/27(火) 01:51:53.00 ID:h3PArZ6m0
漢の始祖高祖劉邦の遠い子孫を名乗る劉備
劉邦の部下には夏侯嬰というという武将がいてその子孫が夏侯惇や夏侯淵だと言われる
この夏侯氏から後漢の宦官、曹騰の養子になったのが曹嵩、この息子が曹操
つまり劉邦の子孫とその部下の子孫が三国志の時代で戦ったってことになってる
52 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/09/27(火) 01:55:43.77 ID:Hp/wClKpi
>>45
何それ胸厚
71 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/09/27(火) 02:10:13.37 ID:h3PArZ6m0
曹操に家族を殺されて蜀に入った馬超の先祖が
後漢を起こした光武帝の部下で後漢の初代異民族バスターの馬援
漢を復活させる光武帝の部下になった馬援の子孫が漢の復活を掲げる劉備の部下になった
340 名前:名無しさん@涙目です。(東京都)[] 投稿日:2011/10/02(日) 13:58:46.35 ID:31GYEGlW0
周喩は一己の人間として完璧すぐる。
知力、武力、権力、財力、容姿、人望、遊び心、嫁。
どこにも穴がない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/周瑜
周 瑜は、後漢末期の武将。
知略・武略に優れており、その才能は曹操や劉備からも恐れられるほどであった。
実際に曹操は蒋幹を使者として周瑜の引き抜きを図り、劉備は孫権に虚言を述べて、孫権と周瑜を離間させようとしたが、いずれも失敗に終わっている。
345 名前:名無しさん@涙目です。(広島県)[] 投稿日:2011/10/02(日) 13:59:25.05 ID:mkxOj7ru0
>>340
でも煽りに弱いよね
343 名前:名無しさん@涙目です。(兵庫県)[] 投稿日:2011/10/02(日) 13:59:24.43 ID:dshmlvId0
>>340
体力ないお
346 名前:名無しさん@涙目です。(神奈川県)[] 投稿日:2011/10/02(日) 13:59:28.94 ID:+DDHNo+B0
>>340
でも病気なんでしょう?
349 名前:名無しさん@涙目です。(北海道)[] 投稿日:2011/10/02(日) 14:00:16.39 ID:8Riywc6o0
>>340
本人乙
孔明先生のおかげで一瞬輝いたね
365 名前:名無しさん@涙目です。(チベット自治区)[] 投稿日:2011/10/02(日) 14:02:53.62 ID:sc7UZH970
>>340
周喩憤死wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
450 名前:名無しさん@涙目です。(庭)[] 投稿日:2011/10/02(日) 14:24:36.43 ID:tjfx2XgD0
呉はマジキチチート武将がいないからつまらん
1人で56万人倒せる項羽レベルの鬼神が欲しかった
466 名前:名無しさん@涙目です。(内モンゴル自治区)[] 投稿日:2011/10/02(日) 14:28:38.79 ID:Q2vB5kxj0
>>450
文官の方がチート並だと思うわ
43 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/09/27(火) 01:49:00.63 ID:K72WQzsb0
司馬懿は首はぐりんと回して真後ろを見ることが出来た
http://ja.wikipedia.org/wiki/司馬懿
司馬 懿は、中国後漢末期から三国時代魏にかけての武将・政治家。
魏において功績を立て続けて大権を握り、西晋の礎を築いた人物
44 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/09/27(火) 01:51:02.99 ID:Hp/wClKpi
>>43
キモいキモいキモいキモい
65 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/09/27(火) 02:03:54.68 ID:vnQEjyMk0
>>43
そういうの劉備の外見の特徴でも妖怪じみた言い伝えがあるけど、
単なる言い回しの誤訳な気がする。どうなんだろう。
69 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2011/09/27(火) 02:06:49.40 ID:/KjL7wzz0
>>65
それが曹丕に気に入られて側近になった
悪趣味と言うか笑いの幅が広いと言うかは個々人の判断に任せるが
曹丕にはその首の回転が面白かったのだとさ
ソースは晋書宣帝紀
56 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2011/09/27(火) 01:57:22.81 ID:oi4tFn/J0
劉備がどっかの家に匿われてて、
そこに劉備に食わせるもんが無かったから家の主人が自分の嫁を殺して
その肉を劉備に献上したら喜んだ。
みたいな話演義にあったよね?
59 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/09/27(火) 01:59:35.41 ID:OxhmUSVS0
>>56
吉川三国志にあるな
劉備が感激して肉を食べてるところにまさかの作者登場
とうじの倫理観では云々かんぬんと説明してた
57 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/09/27(火) 01:59:27.53 ID:K72WQzsb0
麻酔の効果を確かめる為自分の肉を切りとった華佗さん
http://ja.wikipedia.org/wiki/華佗
華 佗は、中国の後漢末期の薬学・鍼灸に非凡な才能を持つ伝説的な名医。
重病に苦しむある郡守の様子を診たところ、激怒させるのが最も効果的な治療法だと診断する。
そして華佗は高額の薬代をもらいながらも治療を行わず、ついには郡守の悪口を書いた手紙を残し去って行った。
これに激怒した郡守が数升の血を吐いたところ、すっかり病気は治ってしまった。
63 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/09/27(火) 02:02:59.41 ID:nif0jrw50
スゲーってなるかもしれない話
何も無い空城だった合肥が8年間で7万の民の営みを抱く帝国の防衛都市になった
73 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/09/27(火) 02:12:59.06 ID:nif0jrw50
ヤクザの親分格程度の存在だった劉備が山間部とはいえ
広大な土地を手に入れただけでも凄いっちゃ凄い
http://ja.wikipedia.org/wiki/劉備
劉 備は、後漢末から三国時代にかけて活躍した武将。蜀(蜀漢)の初代皇帝。
黄巾の乱の鎮圧で功績を挙げ、その後は各地を転戦した。
諸葛亮の天下三分の計に基づいて蜀の地を得て勢力を築き、魏・呉・蜀の三国時代が始まった。
後漢の滅亡を受けて皇帝に即位し、蜀漢を建国した。
75 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/09/27(火) 02:15:26.45 ID:OxhmUSVS0
>>73
負けまくっても死なないし、どこからともなく人材連れてくるし
信じられないタフさだよな
人徳なんて意味不明なもんよりこっちを主眼に置いて話描いてもいいくらいだ
84 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/09/27(火) 02:23:05.43 ID:4HZN807w0
西涼の人口は無限であり、いくらでも騎馬隊が湧く
董氏、馬氏、全部でいくら沸いたんだよ
95 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/09/27(火) 02:28:51.41 ID:0ZclXnSv0
>>84
戸籍人口はたいしたことないんだけど、ちょっと声かけたら戸籍に載ってない遊牧民がわんさか集まるし、
そいつらは負けたら原野や山の中に逃げて隠れるから根絶やしにできないのよ
723 名前:名無しさん@涙目です。(茨城県)[] 投稿日:2011/10/02(日) 16:04:11.62 ID:S+dAxSRp0
横山光輝版だと劉備の子供がアホで蜀が廃れたような描写だけど
実際は、孔明の後を継いだ姜維がめっちゃ戦が下手で
下手なくせに戦の度に蜀の金をたくさんつかって挑むから
蜀の財政を潰したんだよね
http://ja.wikipedia.org/wiki/姜維
姜 維は、中国三国時代の魏の人物、後に蜀漢の武将。
小説『三国志演義』では馬遵配下の将として登場し、諸葛亮の計略を逆手にとって危機に陥らせたり、趙雲と一騎打ちで互角の勝負を演じている。
そして諸葛亮はその才を高く見込み、自らの後継者とするために計略を用いて姜維を蜀に投降させている。
726 名前:名無しさん@涙目です。(神奈川県)[sage] 投稿日:2011/10/02(日) 16:06:33.46 ID:9tgnfKKh0
>>723
まああの国力差じゃ遅かれ早かれ蜀なんて潰されてたし
752 名前:名無しさん@涙目です。(iPhone)[sage] 投稿日:2011/10/02(日) 16:17:42.97 ID:/vfB/DEci
>>723
戦略としては攻勢防御にでるしか無い状況だったから、しょうがないとも言える
補給路の関係により、益州単独での北伐はほぼ不可能の領域
孔明は長安より、まず涼州を取りたかったんじゃないかと思ってる
姜維に与えられた兵力と物資ではどっちみち攻略は不可能
にもかかわらず攻め続けたんだから目的は攻略じゃない、蜀から見て左上つまり涼州に長安に次ぐ軍事拠点を作られるのを防ぎたかったが正解だったと思うようよ
現に滅んだ理由が今言ったルートからトウモロコシが南下してきたから詰んだ訳だしね
186 名前:名無しさん@涙目です。(大阪府)[sage] 投稿日:2011/10/02(日) 13:36:37.61 ID:VqaJbJzs0
漫画を読んだが、後半は退路を遮断されて引き返す・・・みたいな展開ばかりだった
退路を断つってそんなに凄いことなのか? 戦争したことないのでよくわからん
195 名前:名無しさん@涙目です。(千葉県)[sage] 投稿日:2011/10/02(日) 13:37:39.64 ID:cHveq52K0
>>186
ご飯が送られてこないと戦えません・・・
腹が減ってはなんとやらで
217 名前:名無しさん@涙目です。(兵庫県)[sage] 投稿日:2011/10/02(日) 13:39:06.59 ID:uxFd2xqu0
>>186
中国の広さを考えればとなりの国に攻め込むのも長大な補給線になることが
容易に想像できる。
補給を絶つということは、継戦能力が失われるということだ。
205 名前:名無しさん@涙目です。(兵庫県)[] 投稿日:2011/10/02(日) 13:38:28.41 ID:dshmlvId0
>>186
引きこもりにネットと食事遮断ぐらいやばい
139 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/11/09(水) 21:59:47.66 ID:MNqH7shx0
実は最強の男 廖化
http://ja.wikipedia.org/wiki/廖化
廖 化は、後漢末期から三国時代にかけての軍人。蜀(蜀漢)に仕えた。
正史の上で初めて名が挙がるのは、荊州にて劉備配下の将軍である関羽の主簿を務めた頃である。
荊州攻防で関羽が孫権の配下の将軍である呂蒙に敗れると投降するが、 劉備の元に戻りたい一心で自分が死んだというデマを流してから老母を連れて脱出する。
143 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/11/09(水) 22:01:35.38 ID:eBmxyeuN0
>>139
あいつ何歳で死んだんだ…?
144 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/11/09(水) 22:02:20.83 ID:cngoJv620
>>139
兵「敵将の廖化が死んだそうです」
将「いや、あいつ前もそんな言って生きてたからな」
将2「せやな、きっとまたどうせ生きてるだろ、死ぬ死ぬ詐欺乙www」
廖化「マジで死んだのに…」
とかあったそうだな
156 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/11/09(水) 22:13:09.37 ID:bd8UfgOc0
廖化はあんまりにも長生きし過ぎてるから「もしかしたら廖化は前後して二人いたのではないか?」という説もあるみたいだね。
383 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/11/10(木) 03:12:40.31 ID:NvQsTtnmP
呉質伝説
・宴会でデブの芸人とガリの芸人を使って、デブの曹真とガリの朱鑠の体型をあてこする芸をさせたために、
曹真と朱鑠が激怒して抜剣した後で席を立った
・故郷の人間に嫌われてたから、同郷の董昭に「ションベンひっかけてやりたい」と吐き捨てて、
「おいおい、かんべんしてくれよ」と言われる
・陳羣を讒言しまくって失脚させようと画策。陳羣が皇帝直々に譴責される事態を引き起こす
・あまりもの行状のひどさに、醜侯と諡された
http://ja.wikipedia.org/wiki/呉質
37 名前:名無しさん@涙目です。(関西地方)[sage] 投稿日:2011/10/02(日) 13:18:36.12 ID:Uft91ciS0
三国志なのに蜀、魏、呉でもなく
まったく別の晋という国が天下統一してタイトル否定の結末にワロタ
141 名前:名無しさん@涙目です。(長野県)[sage] 投稿日:2011/10/02(日) 13:31:44.88 ID:5yefYtPI0
主人公の劉備が皇帝になっていよいよ三国が成立
しかし最大のライバル曹操は既に死んでて、劉備もすぐ戦に負けて病死
後を託した諸葛亮も志半ばで死んで、その30年後には息子が降伏して蜀滅亡
結局魏か呉のどっちかが統一するのかと思いきや、いきなり出てきた晋とかいう国が天下統一
最終的に「三国志」というタイトルにある三国がどれも統一できずに終わる
これフィクションだったら即ボツだよね(´・ω・`)
162 名前:名無しさん@涙目です。(東京都)[] 投稿日:2011/10/02(日) 13:34:01.68 ID:31GYEGlW0
>>141
「いきなり出てきた」っつーか、晋はクーデターで魏を乗っ取っただけで
軍も民も中身は魏の頃とほとんど同じだぞ。
164 名前:名無しさん@涙目です。(福井県)[] 投稿日:2011/10/02(日) 13:34:19.40 ID:Rq1RRi+40
>>141
浦沢直樹の漫画なら「あぁ、またか・・・」で終わるよね(´・ω・`)
249 名前:名無しさん@涙目です。(宮崎県)[] 投稿日:2011/10/02(日) 13:43:10.40 ID:FgCGeRyx0
そのあと孔明は一人旅に出てチンギスハーンと出会いモンゴル帝国を築いた
ちなみにチンギスハーンの正体は日本を脱出した義経な
257 名前:名無しさん@涙目です。(チベット自治区)[] 投稿日:2011/10/02(日) 13:43:49.85 ID:uOLGUTUA0
>>249
孔明何歳まで生きるんだよ
諸葛孔明 人間力を伸ばす7つの教え
三国志が面白いほどわかる本
横山光輝三国志大百科 永久保存版
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