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1 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2010/09/10(金) 15:24:41 0


世界史関係の本を読んでて、幽霊とか怪生物の目撃情報とか猟奇事件について
記述があったら書き込むスレです。







2 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2010/09/10(金) 15:28:39 0


例えばこんなのとか


幽霊の出る家


アテナイに幽霊の出る家があった。哲学者のアテノドルスが借りて住んでいた。
足に鎖、手に枷をはめられた幽霊が出て、ついてこいという身振りをした。
ついて行くと中庭まで来て、消え失せた。家主の許しを得て中庭を掘ったところ、
出て来たのは鎖に縛られた骸骨であった。葬儀をした後、幽霊に悩まされる
ことはなくなった。
(小プリニウス『書簡集』)








4 名前:山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte [sage] 投稿日:2010/09/10(金) 19:34:52 0


イングランド事件史

ある放埓な男が、妻の不貞を暴くべく梁の上にいたところ、転落して死んだ。
キリスト教徒として正しく葬られたのだが、生前の行動により益無かったものか、
悪魔の力により、夜毎に墓から出てさまよい歩く様になった。

かくして街中では犬の吼ゆる声が止まることなく、家々も閂を鎖して外には出ぬ
様にしていたが、それも効果は無かった。
それというのも、この男が歩いた後には、疫病が流行したからである。

その後、疫病で親族を失った兄弟が墓を暴いたところ、ほんのわずかな土の下か
ら男の死体が現れた。
体はふくれ、頬は赤く染まり、まるで生前の如し。
何人の血を吸いしやと、はっしと鋤で以って首を落とすや、鮮血が飛び散った。
かくして、さしもの疫病も止むに至ったという。
(『イングランド事件史』1196年)



12世紀頃のイングランドの記録には、東欧の「吸血鬼」伝承と共通した記事が
多く、近世以降の記録ではもっぱら東欧に限られた伝承が、この地域にも分布
していた時代があった様です。








7 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2010/09/10(金) 20:58:10 0


>>4
平賀英一郎の「吸血鬼伝承」でも採り上げてたね。
スラヴ人の特殊文化というより、もともと汎ヨーロッパ的にあった「不浄の死者」が
カトリック圏での「煉獄の発明」などにより東方正教圏でのみ
生き残ってたのではないかと・・・

カトリックの古い「贖罪規定書」にはこんなのもあったらしい。



155 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2005/08/29(月) 21:46:11 0


>>136
第一八〇章 お前は、ある女たちがするように
悪魔に唆されて次のようなことをしたことがあるか。
洗礼を受けずに子どもが死んだとき、子どもの死体を取り上げ、
どこか秘密の場所に置き、子どもの体を
杭で刺して、もしこうしなければこの子は生き返り、
多くの者に害をなすという。お前がそのようなことをし、
あるいはそれに同意を与えて信じた場合は、
指定された日に二年間の贖罪を果たさねばならない。
 阿部謹也『西洋中世の罪と罰』p202



↑この辺はロシアのメルトヴャーキ、不浄の死者に関する信仰に似てるね。





148 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2010/10/22(金) 09:29:47 0


カトリックには「エクソシスト」がいる

その人たちについて書かれた本をよんだことあるけど、
悪魔つきは、ほとんどの場合、精神病だとエクソシスト自身がいっている
16世紀の悪魔祓いでクライアントが吐いた釘は16世紀の技術で作られたもので、
20世紀の悪魔祓いでクライアントが吐いた釘が20世紀の技術で作られたものなのは、
どうしてだろう、って
「これが逆なら驚きますが」とエクソシストの資格のある神父さんの言

ただ、ときどき、理解に苦しむのもあって、それは本物の悪魔つきなのか、
現代の精神医学では対処できない精神病なのかはわからない・・・ともおっしゃってた

映画「エクソシスト」のモデルになった神父さんは、とても立派な方で、
確かに超能力を持っているのではないかと思わされるような人だったらしいが、
その人の生い立ちを見ると、少年時代に修道院に入って、現在の目から見たら、
児童虐待じゃないかと思わされるような厳しい修行を積んだ人

もともとその素質があり、なおかつ、幼い時からそのための
厳しい修行を積んできた人のみがもつことのできた、
集中力・洞察力その他からくる「超能力」だったんだろうな

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149 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2010/10/22(金) 09:32:52 0


しかし、釘をはく行為が精神病からくるものなら、
釘を吐くためにほうばるという姿も鬼気迫るものがある

ありきたりな感想だが、そりゃ、悪魔も怖いけど、悪魔を創造する人間の心もまたこわい
人間の心の複雑さには驚くより仕方がない






608 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2011/05/30(月) 04:21:32.92 0


世界史一次・二次史料での不気味な話ではメジャーどころは

ハーメルンの笛吹男」とか



http://ja.wikipedia.org/wiki/ハーメルンの笛吹男

1284年、ハーメルンに「鼠捕り」を名乗る色とりどりの布で作った
衣装をまとった男がやって来て、報酬と引き換えに
街を荒らしまわるネズミの駆除を持ち掛けた。
ハーメルンの人々は男に退治の報酬を約束した。
すると男は笛を取り、笛の音でネズミの群れを惹き付けると、
ヴェーザー川におびき寄せ、ネズミを残さず溺死させた。
ネズミ退治が成功したにもかかわらず、ハーメルンの人々は約束を破り、
笛吹き男への報酬を出し渋った。
怒った笛吹き男はハーメルンの街を後にしたが、
6月26日の朝(一説によれば昼間)に再び戻って来た。住民が教会にいる間に、
笛吹き男は再び笛を吹き鳴らし、ハーメルンの子供達を街から連れ去った。
130人の少年少女が笛吹き男の後に続き、洞窟の中に誘い入れられた。
そして、洞窟は内側から封印され、
笛吹き男も洞窟に入った子供達も二度と戻って来なかった。

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ジル・ド・レイの少年虐殺」とか



http://ja.wikipedia.org/wiki/ジル・ド・レイ

自分の領地に戻ると湯水のように財産を浪費し錬金術に耽溺。
財産目当てのフランソワ・プレラティら詐欺師まがいの
「自称」錬金術師が錬金術成功のために黒魔術を行うよう
唆したことも加わり、手下を使って、
何百人ともいわれる幼い少年たちを拉致、虐殺した。
レイは錬金術成功という「実利」のためだけではなく、
少年への凌辱と虐殺に性的興奮を得ており、
それによる犠牲者は150人から1,500人だと伝えられている。

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ジェヴォーダンの獣」とか



http://ja.wikipedia.org/wiki/ジェヴォーダンの獣

獣が最初に襲撃したのは、1764年6月1日だった。
ランゴーニュ(現在のロゼール県のコミューン)から来た女性が、
樹木の間からオオカミに似た動物が現れ、
自分に向かって真っ直ぐに走ってくるのを目撃した。
しかし、農場の雄牛らによって追い払われた。
6月30日、公式に確認された初めての犠牲者ジャンヌ・ブルが、
ランゴーニュから遠くないレ・ウバックの村近くで殺された。
この生き物の伝えられた殺害の仕方は捕食動物としては異常で、
しばしば獲物の頭部を標的にし、普通なら捕食動物が狙う脚や喉を全く無視していた。
頭部は砕かれるか食いちぎられていた。
伝えられるところによれば、獣はウシを避ける傾向があり、
農場の家畜ではなく人間を標的としているようにみられていた。

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幽霊船メアリー・セレスト号」とか



http://ja.wikipedia.org/wiki/メアリー・セレスト号

メアリー・セレスト号は、1872年にポルトガル沖で、
無人のまま漂流していたのを発見された船である。
発見当時、なぜ乗員が一人も乗っていなかったかは今もって分かっておらず、
航海史上最大の謎とされる場合もあるが、
事件には様々な尾ひれが付けられ、実際以上に不可思議な事件として
都市伝説化しているものである。

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蜀碧の張献忠」とか



http://ja.wikipedia.org/wiki/張献忠

張献忠は嗜虐癖が異常に強く、残酷な殺戮を好んだ。

特に「屠蜀」もしくは「屠川」といって
四川在住者を次々と無差別に殺戮し、四川人はほぼ全滅に近くなった。

清朝の史料を信用すれば、順治三年)に
張献忠が成都から落ちのびる時に自暴自棄となり
空前の殺戮を行い、40万人を数えた成都の人口は
わずか20戸にまで減り全滅同様になった。
「天府之国」と称された四川省は徹底的に破壊され、
300万人ほどの人口が8万人となった。

民間に伝わったところによれば、張献忠は虐殺後、
成都の中心に「七殺碑」と呼ばれる石碑を建立したとされる。

天生万物以養人
人無一物以報天
殺殺殺殺殺殺殺

31372783








609 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2011/05/30(月) 21:44:00.80 0


>張献忠


虐殺なんかやってないという擁護論もあるが、どうかなあ。
張献忠も彼を殺した清軍もどちらも虐殺やった、というのが事実では?

「今夜は誰も殺すべき奴はおらんのか」と泥酔しつつ叫んで
おのが妻子を斬殺、翌朝我に返って
「なぜ俺を止めなかった!?」と
また臣下を殺した、という話があるな。







5 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2010/09/10(金) 20:10:00 0


『晋書』桓温伝


東晋の桓温が尼さんを家に泊めた。尼さんがやたら長風呂するので
桓温が覗き見すると、尼さんは刀で
自分の腹を割いて内蔵を取り出し、両足を切り取った。
「どういう事ですか」と桓温が問うと、
尼さんは「帝位を奪うとはこういう事ですよ」と答えた。








6 名前:山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte [sage] 投稿日:2010/09/10(金) 20:50:30 0


>>5
『晋書』桓温伝ですね。
杉浦日向子先生が、翻案しておいででした。






38 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2010/09/16(木) 21:50:20 O


晋書より
厚遇していた前秦の苻堅を裏切って死に至らしめた後秦の姚萇が病床で見た夢の話
苻堅が鬼兵を率いて営中に入り込み、萇は恐れて宮殿へ逃げ込んだ。
宮人が鬼を刺そうとして誤って萇の股間を刺した。
鬼が互いに言った「死所にあたった」
刺さっていた矛を抜くと血が大量に吹き出した。
夢から醒めると激しい動悸がしており、ついに陰部の腫瘍を患った。
医者がこれを治療の為刺すと夢のように血が吹き出した。
萇はとうとう譫言を言うようになった
「陛下を殺した者は私の兄であって臣の罪ではありません。どうか臣をお許し下さい」







39 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2010/09/16(木) 22:04:15 0


>>38

睾丸の癌かね。晋書は「小説」を多く採っているらしい。







45 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2010/09/16(木) 23:51:04 O


晋書劉聡載記に気味悪い話が…



巨大な肉の塊が落下し、その周辺に泣き声がしていて昼夜やまなかった
皇后劉氏が蛇と猛獣を産み、これらは人を害しながら
逃亡して行方不明となり、その後肉塊の傍らで見つかった
突然劉氏が死亡し、肉塊は消え失せて泣き声も止んだ






47 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2010/09/18(土) 02:03:09 0


中国の南北朝時代正史って、結構オカルティっクな話が多いよね。
太宗の趣味だったのかもしれん。








79 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2010/09/24(金) 00:01:38 O


五胡時代の話だと後趙の石虎が死んだあと、
前燕の慕容シュンの夢に現れて腕に噛みついたというのもあったな

慕容シュンはこれで病気になり、石虎の墓をあばいて
死骸を踏みつけてから黄河に放り込んだが流れずに柱に引っかかったままになった
後に前秦が前燕を滅ぼしてから死骸を回収して葬ったという話だった

晋には現れない妖しい話がワンサカ…







87 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2010/09/28(火) 12:15:38 O


またまた晋書
諸葛長民伝より

長民が富貴となった後、ひと月のうちに
十数回も眠っていたところを飛び起きて人と組み打つような動作をした。
毛脩之がかつて同宿した際にこれを目撃し、驚いて理由を問うた。
長民が答えて言った「真っ黒で毛が生えた物がいるのが見えるが、
我でなくては制することができないのだ」

屋内の柱の間から蛇の頭が出てきた為に人に刀で斬りつけさせたが、
蛇は刀が近づくと引っ込み、遠ざかるとまた出てきた。

衣を引っ張って話しかける声が聞こえたが、その言葉は理解できなかった。

壁から長さ七八尺の巨大な手が出現し、これを切らせると突然見えなくなった。

その後間もなく誅に伏した。







88 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2010/09/28(火) 19:20:35 0


>>87
オカ板の洒落怖の体験談にたまにこういうのあるな・・・







298 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2010/12/27(月) 04:07:49 0


ちゃんと読んだことないけど『晋書』ってこの種の話がてんこ盛りらしいね。
「(異常な天文現象とか変な流行とか)××の凶兆が現れたため○○の反乱が起こった」
みたいな。






9 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2010/09/10(金) 22:02:32 0


プロコピウス『戦史』にある話


ユスティニアヌス帝の治世に、コンスタンティノープル周辺の海域に
「ポルフィリオス」と呼ばれる海の怪物が50年近くもの間出没し、
航海する船に近づいては沈没させたり安全な航路から外れたところまで
押しやったりしていた。
皇帝は威信をかけてこの怪物を討伐せんとしたが、どんな手段を尽くしても
ポルフィリオスを捕らえることはできなかった。

そんなある日、一頭の巨大なクジラが浜に乗り上げた。
人々はこれぞ例のポルフィリオスだろうといって、ロープでクジラをさらに
陸へと引き上げ、肉を切り刻んで分配してしまった。

しかし、ある人々はこういっているとプロコピウスは記す。
「あれは本当にポルフィリオスだったのか?」と。


なんですかそのホラー風の〆方は・・・








11 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2010/09/11(土) 00:33:34 0


>>9


>「あれは本当にポルフィリオスだったのか?」


「あれが最後のポルフィリオスだとは思えない。やがて第二第三のポルフィリオスが…」
だと古式ゆかしい怪獣映画のエンディング。やーすーらーぎーよー、ひーかーりーよー。









13 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2010/09/11(土) 14:50:13 0


(ハイステルバッハのカエサリウス『対話』)


ケルン司教区のシュタムハイムという村で起こったことである。
騎士が二人住んでいて、一人はグンター、今一人はフーゴーと言った。
グンターが十字軍に出かけていた時のある夜、就寝前の用を足させるため
召使が子供たちを中庭に連れ出した。すると、囲いの外から白衣を着て
顔色も青ざめた女の形をしたものがじっと彼らを見つめていた。
何も言わなかったが、姿を見ただけでぞっとした。そのものは垣根を越えて
隣のフーゴーの地所へ行った。
数日後グンターの長男が病気になって、こう言った。
七日目に僕は死ぬ。その次の七日目に妹のディナリが死ぬ。もう七日すると
下の妹が死ぬ。全部その通りになった。そればかりか、子供たちの後を追って
母親も、上述の召使も死んだのである。同じ頃、隣の騎士フーゴーとその
息子も死んだ。これはわが副院長ゲルラック師から聞いた話である。








16 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2010/09/11(土) 21:59:57 0


トマス・ウォルシンガム『イングランド史』にある話


1379年の秋、アランデル伯の弟ジョン・アランデル卿が、配下の兵を
引き連れてとある尼僧院へとやって来た。
卿はブルターニュへ渡るため、ここでしばらく逗留したいといった。
院長は、アランデルが連れて来た武装した若者の数があまりに多いのを
恐れたが、渡航者へ宿を提供するのがその尼僧院のつとめであったので、
やむなくそれを許可した。
だが、風向きはいつまでも変わらず、出港はいつになるか見当もつかなかった。
退屈を紛らわすため兵士たちは酒を飲み、尼僧をからかい始めた。
尼僧たちは宿坊に鍵をかけて閉じこもったが、兵士たちは怒りに任せて扉を破壊し、
中にいた尼僧をつぎつぎと犯した。
尼僧院は兵士たちによって略奪された。彼らはまた近隣の教会へ向かい、聖杯や
銀器をことごとく盗んだ。そこで結婚式の行列に出くわすと、彼らは剣を抜き、
花嫁を強奪して輪姦した。
兵士たちはその女とできる限り多くの尼僧を船に乗せて出港した。一日かそこらの
後、東から大嵐が吹きつけてきた。アランデルは船を軽くするために女を全員
下ろせと命じた。六十人ばかりの女が荒れ狂う海に投げ込まれ、船はアイルランドへ
向かった。


やっぱり一番怖いのは人間。







17 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2010/09/11(土) 22:10:34 0


うわあ、オチがつかないのかw







19 名前:山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte [sage] 投稿日:2010/09/11(土) 22:41:21 0


(『五代帝王物語』より)


天福2年(1234)のことである。
時の帝である後堀河院は、先ごろお産が元で中宮と御子を失われ、意気消沈
しておられたが、その日は法勝寺の法華講に出席されていた。

法勝寺といえば、九重大塔で有名な寺である。
寺へ到着された後堀河院は、唐様の見事な塔を見上げられた。
すると、ありうべからざるものが見えた。
普段は人の立ち入らぬ筈の塔の下から三層目に、人の姿が見えたのである。
しかも、この日は行幸があり、見下ろす者のあろう筈もない。

更に付け加えると、その人とは、崩ぜられた中宮であった。

後堀河院は、傍に控えていた摂政に、「あれが見えるか」とお訊ねになった。
すると、摂政の目にも見えるということ。
しかし、他の人間には、誰に訊いても見えはしなかった。

この後しばらくして、後堀河院は崩御された。








20 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2010/09/11(土) 22:54:58 0


日本だと、「吾妻鏡」に謎の生物の記述があったような気が

「人間の死体のような魚」が打ち上げられたとかいうよく分からない記述だった










569 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2011/04/17(日) 19:58:37.92 0


日本の話だが吾妻鏡で源実朝が庭を「青女」が走り去るのを見て
その後女が消え光が飛び去っていった、
という話(既出?)を読んで怖かった覚えがある。
実は「青女」ってのが下女だと知らずに「青白い女」だと思っていたので
余計に怖かった。






43 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2010/09/16(木) 22:52:53 0


大鏡』で一條天皇即位の大礼の直前に

高御座で血糊のべったりついた生首が発見されて
藤原兼家が揉みつぶした話。

初めて知った時、殺人、穢れを忌むはずの王朝貴族でも
意趣晴らしにそんなことするんだなと思った。
犯人は花山天皇の関係者か。
被害者は多分全く無関係の名もなき庶民だろうけど可哀想。







44 名前:山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte [sage] 投稿日:2010/09/16(木) 23:22:37 0


遺棄葬が主流だった時代ですからね
(京では室町にほぼ止むが、地方では明治まで続く)。
その辺の死体だったのかもしれません。
犬が頭をくわえて来た、鳶や烏が手足を……という話も、よく聞かれました。

穢れというのは、その場で着席して伝染するものとされていました。
産穢なら七日、死穢なら三十日、間接的なものなら……と細々とした規定あり。
手に提げて運ぶだけなら、穢れは移りません。

人の手による嫌がらせなら、その場にいなかった人物が怪しいですね。
穢れというのは、極論すれば神に参れなくなる状態のことですが、平安後期の公家の日記
に、知らなければよかったという一節があり、知らない場合は免除されたのではないかと
いう気が致します。
この場合の兼家も、わざと聞かなかったふりをしたそうですから。









613 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2011/06/26(日) 18:39:59.89 0


元寇の際にあった怪異な話



炎上する筥崎八幡宮より出た白装束の者30人ばかりが矢を射掛けたところ、
元兵は恐怖し夜明けも待たず(朝鮮通信使の頃でも夜間の玄界灘渡海は避けていた)、
我先にと抜錨し撤退は壊走となり玄界灘で遭難した、という。

ただし、この「白装束の者」たちは「白装束」という甚だしく
「異形の者」たちであるため、鎌倉武士団その他の実際の軍勢では無く、
「筥崎宮の八幡神による神威の顕現」の類いを描写したものと考えられる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/元寇











58 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2010/09/19(日) 00:16:04 0


徳川家康が宇宙人の訪問を受けたという話がなかったか?







59 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2010/09/19(日) 01:49:21 O


駿府城の肉人かな?

江戸の随筆『一宵話』が出典とあるが。
妖怪『ぬっぺっぽう』と関わりがあるともされ、
京極夏彦や杉浦日向子がネタにしてる。



http://ja.wikipedia.org/wiki/ぬっぺふほふ

1609年(慶長14年)、駿府城の中庭に、肉塊のような者が現れた。
形は小児のようで、手はあるが指はなく、肉人とでもいうべきものだった。
警戒の厳しい城内に入り込む者は妖怪の類であろうと思われたが、
捕まえようにもすばやく動いて捕まえられない。
当時の駿府城に住んでいた徳川家康が、
その者を外へ追い出すよう命じたため、
家来たちは捕獲をあきらめて城から山のほうへと追い出した。

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61 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2010/09/19(日) 11:59:31 0


徳川光圀が、八幡の藪知らずに入って出られなくなった、

って話は出典はあるのかな?
藪知らず自体は、今でも市中に唐突にある奇妙な藪として、
立ち入り禁止のまま残ってるんだが






62 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2010/09/19(日) 12:42:35 0


禁足地だったのは石碑や千葉県教育委員会の調査で明らかになっているが、
水戸黄門云々は後世の創作なんじゃないカナ
話に尾ひれがつくのよくあることサ



http://ja.wikipedia.org/wiki/八幡の藪知らず

八幡の藪知らずの伝承は江戸時代に記された書籍にすでに見ることができるが、
江戸時代以前から伝承が存在したか否かは定かではない。
また、なぜこの地が禁足地になったかの理由についても、
唯一の明確な根拠があるわけではない。
しかし諸説いずれにせよ、近隣の人たちはこの地に対して
畏敬の念を抱いており、現在も立ち入る事はタブーである。

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31 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2010/09/13(月) 21:41:54 0


ヨーハン・ディーツ親方自伝』より


これはある軍医に教えてもらったことだが──この人物はオランダ大使の
もとで働いていたとき、瀕死の重傷を負ったあるトルコ人の治療に当り、
そのトルコ人からひじょうに気に入られたのでたびたびその家に招かれた
のだが、女の姿をついぞ見たことがなかったという──軍医はそのトルコ人に
ぜひともご令室にお目にかかりたいと頼んだ。トルコ人はいいともと請け合い、
一緒に階上の妻屋つまり小部屋まで連れていってくれた。見ると、部屋の
中ほどにみめ麗しきご婦人が六人もいて、絨毯の上にじかに足を組んですわり、
刺繍や縫い物をしていた。みな驚いてはにかむような表情をみせた。

するとトルコ人は、「わしについて来なさい。ほかの女も見せてしんぜよう」と言った。
トルコ人は軍医の手をとり、階段を下りていった。よろい戸のかんぬきを外して開け、
中をのぞいてみなさいと言う。中は真っ暗で何も見えなかったが、藁の中で何か
金属のような音がたしかに聞こえた。それからトルコ人がもう一つのよろい戸を開けると、
すっかり明るくなった。軍医が見たのは残酷な見世物だった。全●の女が一人、乱れ髪を
顔のまわりに垂らしたすがたで、鎖につながれて横たわり、そのそばに、なかば
喰いちぎられた人間の死体がぶら下がっていたからである。軍医はぎょっとして
飛びのき、これは何かと訊ねた。
これも妻の一人ですが、背教者(つまり、かつてキリスト教徒であったが、イスラム教に
改宗してトルコ人となった者)、ほら、そこにぶら下がっている男と情を通じたのですよ、
とトルコ人は軍医に説明した。男を現場で捕らえて刺し殺し、ここにぶら下げたのだ。
しかし女はこれを食らうほかない、いずれ飢え死にするであろうが、と。






91 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2010/09/29(水) 14:19:47 0


「ヨーハン・ディーツ親方自伝」より
ゲルマン圏でよく見られたという「荒ぶる狩猟」の一種でしょうか

このあたりの山地でリューベツァールのことがさかんに話されているのを
耳にした。そして一夜をその山麓で過ごしたのである。火のないところに
煙は立たぬ、流刑の森の精か悪魔かが悪さをしないとも限らぬ。その証拠に、
夜、ある家で藁の上に横になっていると、深夜に馬と犬と狩人のものすさまじい
ざわめきと反響が、何度も家の前を通りすぎていくのを、わたしはこの耳で
聞いた。こんなことは毎晩で、めずらしくもなんともないと人々は言った。
ほかにも、リューベツァールは人々を迷わせる、そいつをからかう者の上に
雷雨を引き起こすことができるなど、リューベツァールの言い伝えには
事欠かなかった。真偽のほどについては、どちらとも答えないことにする。







92 名前:山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte [sage] 投稿日:2010/09/29(水) 19:19:50 0


>>91
いわゆる「夜の狩人」の類に見えますね。
出現するとされたのは冬が多いそうですが、


>そいつをからかう者の上に雷雨を引き起こすことができるなど、


からかった人間に害を与え、時に撃ち殺して連れて行くとよく言われていますし。

http://www.toroia.info/dict/index.php?%E8%A5%BF%E6%AC%A7%2f%E3%83%8A%E3%83%8F%E3%83%88%E3%82%A4%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%83%BC





102 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2010/10/05(火) 09:47:16 0


ロバート・D・カプラン『バルカンの亡霊たち』より



一九四一年一月二二日の夜、「大天使ミハイル軍団」は正教会の
賛美歌を歌い、ルーマニアの土を入れた袋を首にかけ、互いの血を飲み、
聖水を身体にかけて浄めを受けたのち、子供を含む二〇〇人の男女を
家から引きずり出した。そして、彼らをトラックに詰めこみ、ブカレスト
南部にあるドウンボビツア川近くの赤煉瓦の建物、市営の屠畜場に
運んでいったのである。犠牲者はすべてユダヤ人で、凍えるような暗闇の
なかで裸にされ、ベルトコンベアの上で四つん這いにさせられた。こうして、
恐怖の叫び声をあげながら、ユダヤ人たちは全自動化された屠殺装置の中に
送りこまれていったのである。頭と手足を切断され、血が噴き出している
胴体を軍団員はひとつずつ鉤にかけ、「食用可」というスタンプを押して
いった。逆さまに吊るされた五歳の少女の胴体は「血まみれで、仔牛肉の
ようだった」と、翌朝、現場を目撃した人は証言している。









109 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2010/10/06(水) 18:41:18 0


甘卓



代に甘寧の子孫である「甘卓」という人物が登場する。
伝も立っている有力者で、それによると、甘寧には甘述という息子がおり、
その息子が甘昌、そしてその息子が甘卓であるという。
この人物は、非業の死を遂げたようで、
「死の前日、ふと井戸を見た。井戸水に映る自分の姿に、
首から上がなかった。これは彼の死を暗示してたのである」
という猟奇話が残っている。







114 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2010/10/11(月) 21:24:41 O


蜀書トウ芝伝と注より



トウ芝は延熙十一年に発生した反乱を軍を率いて征伐して頭目をさらし首にした。
十四年に死去した。

トウ芝が遠征した際に黒い猿が山沿いに行くのをみつけた。
芝はいしゆみが好きだったので、自ら猿を射て命中させた。
猿は矢を抜くと木の葉で傷口をふさいだ。
芝は言った「ああ。わしは生物の本性にそむいてしまった。まもなく死ぬだろう」








115 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2010/10/11(月) 21:29:07 0


>>114
意味がわからず不気味。
こういう不気味さはある意味、
予定調和な展開にならないとき面白いと感じる笑いと似てるかも。









726 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2012/08/10(金) 14:31:10.37 0


>>114
「殺すことができたということは、そこでその動物は死ぬ運命だった」
という生命観、運命観のようなものがあり、
「殺そうとして殺せなかった(治療した)。ということは、
自分の方が間違っていたのだ」
ってところかなぁ







187 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2010/11/26(金) 23:20:39 0


『三国志』魏志・公孫淵伝より


公孫淵が魏に征伐される以前、彼の家ではたびたび奇怪なことが起こった。
たとえば犬が頭巾をかぶり、赤い着物をつけて屋根に上がっていたり、
飯を炊くと、蒸し器の中で赤子が蒸されて死んでいたりした。
また襄平の北では生肉を売っていたが、それは長さも太さも数尺あり、
頭と目と口があって、手足がないのにゆらゆら揺れ動いていた。
ある占い師は「形態があるのに完全でなく、肉体はあるのに声がない。
このような怪物の現われた国は滅亡するであろう」といった。








188 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2010/11/26(金) 23:49:48 0


>>187
>たとえば犬が頭巾をかぶり、赤い着物をつけて
近頃はよく有るな。やはり滅亡するのかな。







150 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2010/10/24(日) 23:16:15 0


アーサー王がなぜかシチリア島で魔王になっている話

ハイステルバッハのカエサリウス『奇跡をめぐる対話』より


皇帝ハインリッヒがシチリアを征服した頃、パレルモの教会に首席司祭がいたが、
彼は確かドイツ人だったと思う。ある日、素晴らしい馬がいなくなってしまったので、
彼は召使にあちこち探させた。途中で出会った老人が召使に尋ねた。「どこへ
行くのかね、そして何を探しているのかね」。「主人の馬を探しているのです」。
召使が答えると。老人は「わしは馬がどこにいるか知っておるよ」という。「では、
どこにいるのですか」と尋ねると、老人は答えた。「ギベル山だよ。私の主人の
アーサー王がその馬をもっておられる」と。その山はエトナと同じく炎を吹き上げて
いた。老人はいった、「お前の主人に、一四日目にあの山の宮殿に来るように
いいなさい。もしお前が伝えないと、厳しい罰を受けるぞ」。
召使は戻って主人におののきながら、聞いたことを伝えた。首席司祭はアーサー王の
宮殿に招かれたことを聞いて笑いとばしたが、やがて病気になり、指定された日に
亡くなった。この話はボンの聖堂参事会員をしているゴットシャルクから聞いた話
だが、彼はそのときパレルモにいたという。

当時、火山は煉獄の入り口と考えられていた。

MORDRED







151 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2010/10/25(月) 01:55:28 0


アーサー王は、妖精郷とかそういう、
いわゆる「常世」「あの世」と相性が良い伝説の人だからなぁ。
「あの世」の関係者として魔王的に伝承されてもおかしくないわな。

http://ja.wikipedia.org/wiki/アーサー王





217 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2010/12/07(火) 01:33:36 0


↓易経を学ぶ人には有名な話。


无號、終有凶

元治元年のこと、佐久間象山は公武合体論と開国論を説くため、
一橋慶喜に招かれて上京することとなった。
象山は日頃、易占を行って行動を決していたが、今回は筮を立てようとしない。
不思議に思った弟子が尋ねても、象山はもっぱら
「易は心に惑う時にするものだ。今度のことは吉凶問うところでない」
と言うのみであったが、ついに弟子のたっての望みで占ってみた。

得た卦は、沢天夬の上爻変。易経には「无號、終有凶」とあり、
小人が泣き叫んでも遂には殺される、という明らかに最凶の卦。
しかし象山は動ぜず、駿馬を求めて京へと出立した。

途中、美濃国大垣にて知人、小原仁兵衛の邸に寄り、大いに歓談した。
その内、小原氏が象山にふと「今回は易占は立てましたか?」と問い、
象山が沢天夬の上爻変を得たことを告げると、その場で小原氏は黙してしまった。

小原邸を発して京都に上り、諸法を遊説して帰国しようとした矢先、
三条木屋町で、河上彦斎等の手にかかり暗殺された。


出典は象山の門弟で後の外務書記官、北澤正誠の談話を
高島嘉右衛門が聞きとったものらしい。






218 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2010/12/09(木) 19:42:49 0


>>易は心に惑う時にするものだ。今度のことは吉凶問うところでない


ふぅぅん。。







317 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2010/12/31(金) 18:59:26 0


近代西洋でも、占いとかオカルト類はあくまでアングラ扱いだが、
カトリック教会では公式に超常的な奇跡を認めてるよね。


・・・てことで、本題に戻って。有名な話を。
すまんが適当にネット上から抜粋する。


ファティマの奇跡


1916年春頃、一人の少年がポルトガル中部のファティマという小さな村に現れ、
村の3人の子供(ルシア、ヤシンタ、フランシスコ)に祈り方を教えた。

1917年5月13日、ファティマの3人の子供たちの前に謎の婦人が現れ、
毎月13日に同じ場所へ会いに来るように命じた。
子供たちは5か月の間、毎月彼女と会い、いくつかのメッセージを伝えられた。

婦人の姿と声は3人の子供たちにしか見えなかったが、
一緒に行った村人たちは卵型の光る物体が降下してくるのを見たという。
この話は次第に近隣の町や村へ伝わっていき、最後の出現の日である10月13日には、
国中から10万人もの人が集まった。

その日どしゃぶりの雨の中を一万人もの群集が聖母の現れるくぼ地の周囲に集まった。
熱心な祈りをささげる信者たちにまじって、∃-ロッパ各地からやってきた
新聞記者や学者、聖職者たちの姿も見られた。
昼すぎ、小さな白い雲が子ともたちの周囲にわき出て、ゆっくりと空中高く上昇していった。
と同時に激しく降っていた雨がピタリとやみ、
空をおおっていた雨雲が割れて銀色に輝く一個の光球が現れた。
それは急速に回転しながら、無数の光線を放射しはじめた。
光線は黄、赤、青、紫とさまざまに色を変え、7万の群集に降りそそいで、大地にあふれた。

「奇跡だ!奇跡が起こったんだ」という叫び声があちこちからあがり、
人びとの熱狂と興奮の中で一連の「ファティマの奇跡」は幕を閉じた。
これは、集まった10万人の人々に一部始終目撃された。


318 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2010/12/31(金) 19:00:16 0


そしていつもの婦人(聖母)はやはり3人の子どもだけに聞こえる声で、
この地に礼拝堂を建てるように言い、3つの予言を告げた。


1、悪魔と地獄の現存:多くの人々が悪魔によって地獄へ導かれている。七つの大罪などの罪、
 特に肉欲の罪から回心しないままでいることにより人は地獄へ行く。

2、人類の危機:全人類の大半を数分のうちに滅ぼす武器が戦争で使用されることによって、
 人類が瞬時に滅ぼされる可能性がある。

3、教皇暗殺の危機:これについては口外されなかった。
(現在のカトリック教会の公式見解では、1981年のローマ法王パウロ2世の狙撃事件の予言だとされている)


フランシスコとジャシンタの二人は、6月の聖母マリアの出現の際に、
もうすぐ天に召されると予言されていた。
実際にその後、第一次世界大戦終結後に病気で夭逝した。
最後の一人ルシアは、その後修道女になり、2005年2月13日、
97歳でコインブラの修道院で死去した。

ファティマでの事件はその後、カトリック教会によって
正式に「奇跡」として認められている。

375px-ChildrensofFatima


http://ja.wikipedia.org/wiki/ファティマの聖母








331 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2011/01/02(日) 13:18:14 O


ファティマの奇跡の話は当時のポルトガルでは有名になっていたから
予告された10月13日には、実際に国内外からかなりの群集が集まったはず。
10万人かどうかは知らないけど。








440 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2011/01/08(土) 02:20:56 0


バシラキオス


ビザンツ帝国の史家ニケタス・コニアテスによると、12世紀末の
コンスタンティノープルにバシラキオスという狂人がいた。
その男は未来を占えるという評判があり、人々は長蛇の列をなして
彼のところへやってきたという。
コニアテスに言わせれば「その男の予言は当ったためしがなく、その
言葉遣いは間違いだらけで、支離滅裂で、秘密めかしていた」。
そしてそんな馬鹿げた行いに引きつけられるのは田舎者や無知な者
だけだったと記している。

だがその評判は皇帝の耳にも届いたらしく、バシラキオスは宮殿に
召し出され、当時のイサキオス2世によって未来を占うよういわれた。
バシラキオスはまったく場所をわきまえない様子で、奇声をあげて
そこら中を走り回り、壁にかかっていた皇帝の肖像画の両目に穴を開け
イサキオス2世の頭から被り物をひったくった。

その後クーデターが起き、イサキオス2世は帝冠を奪われ、両目を潰された。







443 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2011/01/08(土) 10:03:32 0


>>440
ギリシャ正教圏で君主の両目って思いっきり廃位フラグじゃん・・・

むしろ無関係にクーデター計画してた連中が、その予言を聞いて
決行に踏み切ったとかだったら別な意味で洒落にならんな





286 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2010/12/21(火) 22:19:58 O


晋書呂光載記より


呂光が前秦の将軍としてクチャを攻めた時のこと

亀茲王帛純が光を防ぐと、光はその城南に布陣して五里ごとに一営を置き、
深い溝を掘り高い塁を設け木に甲を被せて疑兵とした。
帛純が城外の人を城内へ移し、付属する侯王はそれぞれ城に拠って守りを固めた。

ここにおいて光の左腕の内側に脈が起こって「巨覇」という字をなした。

営外に夜になって頭に角があり目が電光のように光る黒い物体が出現したが、
夜が明けると雲霧が発生してその物体は見えなくなった。
その物体の現れた場所を見ると、南北五里東西三十歩に渡って光が残っていた。
光が笑って言った「黒龍である」
突然雲が西北に発生して痕跡を大雨が消し去った。
部将の杜進が言った「龍は神獣であって人君が現れるという兆しです。
どうか将軍には励まれますように。
大きな喜びを招くことができるでしょう」
光はこれを喜んだ。

進んで亀茲城を攻めると夜に金の像が城外へ飛び出すという夢をみた。
光が言った「これは佛神が去るということであり、胡は必ずや亡ぶだろう」

帛純はカイ胡に救援を請うたが、光は城西において戦ってこれを大破し帛純は逃走した。






287 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2010/12/22(水) 21:09:49 0


>ここにおいて光の左腕の内側に脈が起こって「巨覇」という字をなした。


なんかここだけ少年マンガみたいでわろた






467 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2011/01/11(火) 01:10:37 0


高僧伝2」より。


鳩摩羅什は生前に言い残していた。
「自分の翻訳に誤りがないなら、死後に火葬にしても舌は焼けずに残るだろう」
実際に死後荼毘に付したところ、舌だけは灰にならずに焼け残った。


鳩摩羅什は亀茲国出身の仏教僧。
唐代の玄奘と並んで「二大訳聖」とたたえられる大訳経僧。
「阿弥陀経」など多くの経典を漢訳した。






469 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2011/01/11(火) 09:24:49 0


ギリシャ正教では高徳の僧は死後も肉体が腐敗しないなんてのもあったね。
同じ正教でもスラヴ圏へ行くとそれは吸血鬼になった証だったりするが。










186 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2010/11/26(金) 20:58:03 0


ロシアのピョートル大帝は奇形児の遺●や

奇形動物の剥製、ホルマリン漬けを大量に集めていて
今でも残っているんだが
これは単なる病的好奇心によるものだろうか。

250px-Peter_der-Grosse_1838









208 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2010/11/27(土) 22:34:32 0


>>186
奇形動物(一つ目とかシャム双生児等々)の剥製(展示品)なら
欧州の博物館の何ヶ所かで目にしたよ。
解説とかスルーしたからよくわからんけど、
単にピョートル一人の趣味ではないような気もするw








196 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2010/11/27(土) 10:31:17 0


帝政ロシア末期のラスプーチンだとかロマノフ一家虐殺とか
一次史料が共産党に消されたせいで伝説眉唾てんこもりだよな
まだ100年経ってないのに







479 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2011/01/12(水) 09:46:04 0


遺●保存ネタといえば、共産圏は一時期、
毛沢東やレーニンの遺●を保存公開していたが、
あれ個人崇拝じゃねえの。 共産党というカルトのすることはよく分からぬ。






480 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2011/01/12(水) 13:00:21 0


スターリンが死んだ後の党大会で「同志レーニンが夢に出てきて
スターリンが自分のところに一緒に葬られるのは嫌だと言いました」
と発言した人がいて、共産党は唯物論のはずなのになぜかそれで
スターリンは別の場所に葬られることになったとかいういろんな意味で
オカルトな話を何かで読んだが、本当の話かどうか誰か知らん?







483 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2011/01/12(水) 14:21:29 0


>>481
http://stalin.narod.ru/stalin_body.htm
このページによるとドーラ・アブラモヴナ・ラズルキナという
女性党員のスピーチで、スターリンがレーニン廟に葬られてから
10年近く経った1961年のことだったそうだ。


「私の心は常にレーニンでいっぱいです。同志諸君、私が幾多の困難を
乗り越えてきたのも私の心にレーニンがいたからこそであり、常に
何をなすべきか彼の指導を仰いできました。昨日、彼の指導を受けました。
彼はまるで生きた人間のように私の前に立ち、そして言いました。
『党に対して多大な害をなしたスターリンが隣にいるのは不快だ』」







655 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2011/12/10(土) 21:59:51.24 0


フリースラントの伝統 by マルク・ブロック


「フリースラント人の間では、屍体さえ復讐を叫んだ。
すなわち、フェーデ(復讐)に成功し、
近親がついに埋葬の権利を得る日まで屍体は家の中に吊されて乾かされたのである」 






657 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2012/01/09(月) 22:00:22.19 0


後漢書だったかな?
赤眉が呂后の墓を暴いたら、生きているみたいだったってやつ。

まあ屍蝋だったんだろうけどね。






673 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2012/04/16(月) 21:09:09.16 0


アイスランドの『スヴァルファルスダルのサガ』より


イングフィルドは兄弟のグリスとリートルフに頼んで、夫のクラウフィを殺させた。
兄弟は死体を乾草の下に埋めた。その夜イングフィルドが寝ていると、突然クラウフィが
彼女の目の前に立っていた。彼女は兄弟を呼んだ。兄弟は亡霊と戦い首を切り、
頭を脚のところに置いた。
ある夜、赤毛のカールが火のそばに坐っていたところ、誰かの声が聞こえた。
それはクラウフィの声であった。カールはそばにいた八人の男と共に、武器をもって
外に出た。そこには自分の頭を手にもったクラウフィがいた。

皆はクラウフィの跡を追ってシュタインドゥールまできた。そこでクラウフィは
立ち止まり、頭で戸を叩いた。カールは敷地に入り、ついで家の中にも入った。
そこでイングフィルドの兄弟のグリスに出会った。カールはクラウフィの死に
ついて詳しく聞こうとしたが、グリスは何も答えず、すぐに部屋から出ていって
しまった。そこへクラウフィの姉妹のジーグフリートが兄弟の剣を手にもって
入ってきて、それをカールに渡した。カールは外に出てグリスの剣の柄が
脂で染まっているのをみて、グリスを殺した。
カールの一隊がシュタインドゥールから離れたとき、クラウフィが現れていった。
「カール、今夜は俺のためにお前たちの多くの者が地の下に来ることになるぞ」


674 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2012/04/16(月) 21:10:16.42 0


そこには一五人ほどの人びとがいた。リートルフとその仲間たちであった。
すぐに激しい戦いとなり、クラウフィも戦いに加わって自分の頭で激しく
打ちまくった。リートルフと仲間たちは逃げようとしたが、クラウフィが
道をさえぎり、特にリートルフに打ってかかった。
リートルフは近くに住むスキディに助けを求めた。スキディは声を聞いて
とびおき、家から走り出ようとした。ところが家の前にクラウフィが
立ちはだかり、道をふさいでいた。
スキディは燃える薪をとって屋根に火をつけた。クラウフィは燃えさかる
炎を前にして、消えざるをえなかった。スキディは戦闘の場に行き、
両者を離れさせた。リートルフは逃げのびた。

ある日、グンナールとカールは家の前に立っていた。カールは空を見上げて、
真っ青になってこういった「従兄弟のクラウフィが灰色の馬に跨って
空を駆けてゆくのが見えた。橇が一台あとをついていったが、その上には
俺がいたように思うよ」。すると空にクラウフィの声が響いた。
「お前は今日の夕方俺と一緒に家に戻るのだ、カール」
そのすぐあとでカールは待ち伏せにあって死んだ。リートルフの友人が
彼の生命を奪ったのだった。


675 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2012/04/16(月) 21:11:47.94 0


後にリートルフは奇怪な死に方をした。牧草地の上手の恐ろしい穴の中に
横たわっているのが発見されたのである。クラウフィの剣を鍛え直して
つくられた短剣で刺されていた。

クラウフィはまたさまよい始め、彼の起こす暴力沙汰は際限がなくなった。
人を殺し、家畜も殺した。従兄弟が何人かの仲間とクラウフィの墓に行き、
墓を掘って死体を掘り出した。それは腐敗していなかった。死体は大きな
薪の山の上で焼かれ、灰を集めて鉛の箱に入れ、二本の鉄の止め金でとめ、
熱い温泉の中へ投げ込んだ。こうして亡霊がさまようことはなくなった。
クラウフィが焼かれた崖は二つに裂けてしまった。







631 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2011/07/02(土) 20:15:18.48 0


オルフィレウスの永久運動機械 - その歯車は回り続けたか



歴史上、ただひとり、この永久に動き続ける機械を
発明したと言われる人物がいることをご存知だろうか。
ヨハン・エルンスト・エリアス・ベスラー、
またの名をオルフィレウス - それは神の法則に逆らった男の名である。

800px-Orffyreus_Das_Mersseburgische_Perpetuum_Mobile (1)


http://x51.org/x/04/04/1302.php








532 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2011/03/04(金) 01:17:56.37 0


フジテレビと東京新聞に出ててネット上を賑わしているネタ

歌川国芳の浮世絵

東都三ツ股の図」(1631年頃)にスカイツリーが描かれていた!

83AAE383BC


http://hiroshige-kitarou.blog.so-net.ne.jp/2011-02-23






533 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2011/03/04(金) 06:02:43.27 0


井戸堀りの櫓だっけ?






527 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2011/02/17(木) 03:49:30 0


読売新聞に連載中の宮城谷の小説で出てきて知った話だが

後漢書 光武帝紀



光武帝の昆陽の戰いの前夜、敵陣に

夜有流星墜營中,晝有雲如壞山,當營而隕,不及地尺而散,吏士皆厭伏。
―後漢書 光武帝紀

夜、隕石が落ちてきた。そして、白雲の山のような物が天から崩れ落ちてきて
地上すれすれで消えた。それを見て兵士達は恐れ地面に伏した。


なんだこれ?
氷の彗星が落ちてきたか、マイクロブラックホールか?
ツングース爆発隕石みたいなもんか?







529 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2011/02/17(木) 22:34:05 0


昔のクトゥルー系の小説に似たような描写があったような気がする。








542 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2011/04/06(水) 01:58:04.90 0


ウイグル王家の起源神話も宇宙人ぽくて怖いわ


ある時二本の樹の間に天から光が降ると、そこに塚が盛り上がり
毎夜光を受けて塚は日に日に大きくなった。そしてついに
妊婦の分娩のときのように塚が開いて、「内に一つずつ別々に
なったテント状の小室が五つ現れ、それぞれの内には男の児が
一人ずつ坐っていて、その口の前には管が下がっていて必要な
乳を供給しており、テントの上には銀の網が延びていた」。

五人の子供はその後ウイグル族に育てられて王族となり、各地を
征服したとのことである。
(ジュワイニー『世界征服者の歴史』より)







549 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2011/04/12(火) 03:16:03.32 0


>>542 月へ帰らなかったかぐや姫みたい







547 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2011/04/11(月) 22:53:34.13 0


マゼランの巨大な船

マゼランがフエゴ島行ったとき、
カヌーしか知らない原住民にはマゼランらの巨大な船が見えなかった、
みたいな話がある。
http://blog.goo.ne.jp/nbrisi/e/3208cb60e9732e3a67b13ef0a5306445
で、マゼランの記録見てみたら、該当箇所であろう箇所は
その男は提督とわれわれの面前に来ると、ひじょうに驚き、
われわれが天から降りてきたものと信じて、
指を一本高くもちあげる格好をした。「大航海時代叢書1」岩波書店505ページ。
としかないんじゃなかろうか。
つまり、船を見た上で、いわばUFOが降りてきたのか!的な
驚き方をしたんじゃなかろうかって思えるが。
船が見えないってのはあり得ないだろう。
ならば黒船が来たとき、日本人の中にも黒船が見えねー奴が
いたとしてもおかしくなかろうって思えるし。

800px-Nao_Victoria






553 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2011/04/13(水) 00:33:11.20 0


謎の船が突然現れた例

umenotiri


http://ja.wikipedia.org/wiki/虚舟





558 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2011/04/15(金) 11:00:28.62 0


船が見えなかったで思い出したが、乗組員全員餓死した良栄丸事件の時も
漂流中にアメリカ船が近づいたがなぜかシカトされたらしいな・・・






562 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2011/04/16(土) 02:08:36.27 0


>>558
マゼランの話から考えると
日本人はアメリカの巨大な船を知らなかったため見えなかったということか


中国 かなりこわい闇の歴史
怖くて読めない世界史
タブーの正体!: マスコミが「あのこと」に触れない理由


元スレ:http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1284099881/





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日本史における不思議な出来事、奇談。
世界史が面白くなる雑学教えてください
「さすがに酷すぎるだろ…」と思う歴史上の出来事